2021-05-05
折衷的スタートアップの時代?
これから数年のインターネットサービスは、折衷的になるんじゃないかとみている。
折衷的とは、つまり両端を避け、真ん中あたりの程よい妥協解をみつけることだ。「折衷」とか「妥協」とか、もう言葉のニュアンスからして、「イノベーション」の明るいトーンに馴染みそうにないが、市場をみていると、そうなる気がしてならない。
例えば、SubstackやGhostに代表されるニュースレター系のサービス。これらは、「誰でも閲覧できてしまうことで、炎上リスクが上がる」というブログの世界と、「怖いのはスクショだけ、ほぼ忖度なしに話せる」完全に閉じたグループチャットの世界の間に位置しており、その課金モデルも、たくさんのページビューを前提とした広告収入でもなければ、ごく少数の人間に自分の専門性を売るわけでもなく、数百から数千のファンから直接お金をもらうサブスクという、これまた中間的なアプローチだ。
より時事的なネタだと、Spotifyが発表したポッドキャストの購読者課金サービスなども折衷案と言える。アグリゲータ志向の会社としては正しい中央集権的なモデルを目指しつつも、クリエイターの方もちゃんと向いており、最初の2年間はマージンを取らないと発表している。以前、noteを例に、アグリゲータとプラットフォームの葛藤についてまとめたが、Spotifyはその境目をうまく渡り歩いている印象だ。1
ではなぜネットサービスは折衷的になりつつあるのだろうか?ふたつ理由があると考えている。
まずはインターネットそのものが成熟してきたから。成熟すると、極端な解が一通り出てきて、長所短所がはっきりする。長所短所がはっきりすると、いいとこ取りをした解がどんどん生み出されていく。いいとこ取りをして巨人の肩に乗るということは、重心は中央に寄るということだ。また数年すれば非連続な技術が出てくるだろうが、今は先人のとんがった成功と失敗を組み合わせる時代だ。
もうひとつは、ネット人口が増えたから。世界に存在しているほとんどの人は中庸なので、極端な解にはついていけない。なので、結果的にいい塩梅に角が取れたサービスが支持されやすくなる。これはプロダクトもそうだし、その裏にある起業思想もそうだ。
15年以上前、Facebookは世界をよりオープンにしてつなげると豪語していたが、ああいう厨二病的ミッションを掲げたネットサービスが今出てきたら、世論の双翼からフルボッコにあうだろう。実際一世代あとのユニコーンたちを俯瞰すると、政治的理想主義は薄れ、自由経済色が濃くなっている。Gig Economy系は読んで字の如くだし、ミッション系2のStripeだって「ネットのGDPを増やす」3という、いたってノンポリで、経済目線のミッションを掲げている。いわゆる“It's economy, stupid”の時代なのかもしれない。
時代が変わるにつれて、起業家に求められる資質も変わっていくだろう。いつの時代も起業家は型やぶりな生き物だが、型のやぶり方にもいろいろある。今までのように、突拍子のないことを思いついたり、既存ルールを無視して突き進む革命家よりも、既存のものをうまく組み合わせたり、多種多様な価値観の絶妙な落とし所を探り当てる活動家の時代が来ているのではなかろうか。