2020-05-05
noteがFacebookやTwitterにならないためには、と考えてみた
結論から言うと、ピースオブケイク改めnoteは、アグリゲータとしてのポテンシャルが高すぎて、プラットフォームになれないかもしれない。でもプラットフォームになりたそうで、その為には方向性の調整が必要だと思う。
結論を言うだけならツイートに収まるので、僕なりの分析を、以下書き留めてみる。
目次
- プラットフォーム is 何
- そろそろnoteの話を
- 「を」vs「で」
- もうひとつの違和感ーコロナに関する但し書き
- Facebookという教訓
- Twitterという警鐘
- プラットフォームでいるには
- さいごに
プラットフォーム is 何
そもそも「プラットフォーム」とは何だろうか。「民主主義」とかもそうだが、それが意味するところの輪郭がぼやけているのに、何となく「良いこと」になってしまいがちな言葉だ。なので一先ず定義するところから始めたい。さいわい最近だとBen Thompsonという兄ちゃんがいて、彼のブログStratecheryにはこの手の話がたくさん書いてある1。
Thompsonの分析の大きな軸の一つが「GAFAは必ずしも全部プラットフォームではない」ということだ。この20年で急成長したオンライン企業には大きく分けて2つのタイプがあり、自社のサービスが先頭に立ち、何らかの「モノ」を集約していく「アグリゲータ」と、自社のサービスが裏方に回り、「モノ」の作り方や商用化、集客方法などを変える「プラットフォーム」に分かれるというのが、Thompsonの理論の中核にある。前者のわかりやすい例がGoogleとFacebookであり、後者の典型的な例がMicrosoftのWindowsとAmazonのAWSである。
この点を端的に書き記した “The Bill Gates Line”というエントリに、プラットフォームとアグリゲータの違いがこう書かれている。
This is ultimately the most important distinction between platforms and aggregators: platforms are powerful because they facilitate a relationship between 3rd-party suppliers and end users; aggregators, on the other hand, intermediate and control it.
(対訳)プラットフォームが第三者供給元とユーザーの関係構築の便宜を図ろうとするのに対して、アグリゲーターはその間に入りコントロールしようとする。これが究極にして最大の相違点です。
Thompsonは文章もうまいが、絵に落とすのも上手く、プラットフォームとアグリゲータの差をこんな風に描いている。
プラットフォームの図
アグリゲータの図
第三者供給元に何らかのバリューを提供しているという点では、プラットフォームもアグリゲータも似ている。ただアグリゲータの場合は総じて、「需要元となる消費者を効率的に持ってこれる」というところで供給元を手懐けるので、戦略の第一手は、往々にして、消費者のニーズをこれでもかというくらい埋めるところから始まる。それはFacebookなら友達運用の効率化であり、Googleなら知的生産性の向上であり、AppleならiPhoneによる生活のオンライン化だった。
ただアグリゲータとしてスタートすると、どうしても顧客体験をコントロールしたくなる。消費者の効率的調達に影響するからだ。そうするとプラットフォームになりづらくなる。これの一番いい例が、App Storeだろう。再びThompsonのブログから絵を引用する。
iOSのエコシステムの性質上、App Storeが必要なのはわかる。が、そこで課金アプリから30%引き去るという意思決定は、開発者の粗利を逼迫し、「第三者供給元とユーザーの関係構築の便宜を図る」というプラットフォームの定義からズレるものだったというのがThompsonの見解だ。
そろそろnoteの話を
ではnoteはどうだろうか。noteのビジネスモデルは、App Storeのそれに近い。クリエイターにコンテンツ編集・課金管理といったツールを提供する代わりに、収益の10%ないし20%を取るというビジネスモデルだ2 。結果としてクリエイターが集まり、読者が集まり、その読者に第一稿からコンテンツを売りたいクリエイターがさらに集まる、という流れが生まれている。4400万人が集まるクリエイターの「街」と彼らが自身のサービスを呼ぶ所以だ。
実際に良くできた商売だ。昔からネットで文字を垂れ流せるサービスはたくさんあったが、どれも課金してコンテンツビジネスにつなげるという観点が抜けていた。その隙間を上手に埋めたのがnoteだ。
ネットでお金をもらうのは、非常に大変かつ面倒である。ウェブ技術に必ずしも明るくない大半のクリエイターには高い敷居だ。クリエイターとしては一流なのに、いわゆるネット知識が足りないだけで商売がうまくできないなんて不条理だ。だからnoteは素晴らしい…はずだ。
ただ、改めてThompsonの定義に立ち戻るとやはり引っかかるのが、本当にnoteはクリエイターと読者の関係構築の便宜を図っているのか、という点だ。それも、特に長期的な観点で考えた時に、である。
今のnoteの仕組みを、Thompson風に絵に落としてみると、こんな感じだろう。
下半分に関して言えば、これほど出版社にとってありがたいサービスは無い。新しい才覚あふれるクリエイターを探すのは骨の折れる仕事だし、見つけてきた原石を磨き、市場を見つけ、売り込まなくてはいけない。これら全ての作業を代行してくれるnoteはまさに渡りに船だろう。2018年のインタビューで加藤さんはこう述べている。
出版業界はこれまでコンテンツ産業を支える根幹でした。しかし、それらがだんだんシュリンクし始めている。もっともっと根本的に解決したいと思っていて、誰かがやるのを待っていたのですが、誰もそういったサービスには手を出さなくて。それなら自分がやるかと、ピースオブケイクを立ち上げることにしました
しかしクリエイターにとって実は同じくらい、いや、もっと重要なのは上の半分だ。クリエイターからすれば、初日から潜在読者がいることはありがたい。ぼくだって今イチからブログを書くとしたら真っ先にnoteに飛びつくだろう。
ただ、noteでコンテンツを作っていった時、そのコンテンツはnoteでしか生きていけなくなると思う。そしてそれは、note株式会社が恣意的に望んでいることでもある気がするのだ。
「を」vs「で」
目的語と助詞が変わったーぼくが最初に抱いた違和感だ。
ぼくがオンラインで文章を書き出したのは、10年くらい前なので、ブログ黎明期の終わりと言っても良いだろう。その頃のオンラインの書き手は、「ブログ」ないしは「日記」「を」書いていた。それがどこで書かれていたかは人による。ぼくがTwitterでブロックされているChikirinさん3は、はてなダイアリーだったし、自分でブログエンジンを運用している人もいた。ただ彼ら著名ブロガーたちは、はてなダイアリー「を」書いてはいなかったし、ぼくも自分で作った世界でひとつだけのオンリーワンCMS「を」書いてはいなかった。僕らが書いていたのはブログで、さらに平たくいえばウェブで読める文章だった。
今ぼくのタイムラインに流れてくる人は、note「を」書いている。note「で」書いているのではなくて、note「を」書いているのだ。
そんな言葉のあや、揚げ足取りじゃないか、と思うかもしれない。でもnoteがwhatであるかhowであるかはnoteのプラットフォームとしての立ち位置を投影するものだ。
もしクリエイターたちがnote「を」書き続けた時、その先にあるのは、noteというメディアであって、noteというクリエイターのツールではない。noteがwhatとして市民権を得たとき、人々が探し求めるのは、面白い・ためになる・暇をつぶせる・感動できるnoteであり、note.comの機能を使ってつくられた創作物ではなくなる。Instagramにあるのは動画ではなく「ストーリー」で、Google検索の結果に出てくるのはウェブサイトではなく「検索結果」であるように、noteにあるのは…「note」なのだ。
もうひとつの違和感ーコロナに関する但し書き
もうひとつ違和感を覚えたことがある。コロナに関連すると思われる記事に関してエントリの上に出てくる注意書きだ。
この但し書きを出すこと自体が不自然だとは思わない。noteだって誤情報拡散の片棒を担ぎたくないのはわかる。それと同時に、コンテンツの内容からCOVID19関連の記事だとみなされた場合に強制的に但し書きを加えるというのは、表現の自由という観点から考えると少しは悩むべき判断のはずだ。
しかし、先のnote6周年における深津CXOの発言には、そういう葛藤というか思慮が欠けているようにみえた。
こちらはコロナとの戦い。僕らは、わりと早い段階からできることはやっておこうと社内で表明してまして…もう一月の段階からですね、noteの中で、やはり情報メディアとしてはインフォデミックが起きるのが一番怖いので、あらゆるコロナの記事の上の部分に、新型コロナに関する話題というのは、必ず厚生労働省などの一次情報をみてくださいという表記を出すなどやってみたりとか…こう言った社会的なことの援護射撃はしていきたいと思っています。
「情報メディア」としては、深津さんが仰ることは120%正しい。だが、プラットフォームとしては、際どいラインである。いわゆるフェイクニュースが話題・問題になってる昨今だが、なぜFacebookやTwitterといった巨大サービスが、その取締りに手こずるか。それは彼らが自分たちをメディアと割り切れず、プラットフォームでありたいと思っているからだ。そして、これはAppleが中国政府の圧力に負け、App StoreからVPNアプリを締め出した時、そのプラットフォームとしての中立性が疑われたことにも通ずる。
深津さんの発言、そしてその後に来る加藤CEOの発言からは、果たして「プラットフォーム」としてのnoteが、クリエイターのコンテンツに口を出し、ましてや厚生労働省の言うことに従いましょう、というようなメッセージを出していいのか、という観点が抜けている。
経営陣のプラットフォームとしてのモラル的葛藤が感じられず、むしろ絶対的倫理観すら感じられるーこれがぼくが感じた二つ目の違和感だ。
Facebookという教訓
2005年、ミクシィという人気SNSがあった。
同じ頃、MicrosoftはPCの王者で、ブログと言えばはてなダイアリーだった。それから15年経ち、ミクシィはゲーム会社になり、MicrosoftはLinuxとAppleと平和条約を結んでからのクラウド事業での大成長、はてなは…noteにお株を奪われた。
時代に応じて、オンラインサービスは変遷する。そして必要とあれば、自ら化けの皮をはぐ。その最たる例にして史上最強のなんちゃってプラットフォームがFacebookである。
読者の多くは覚えていない、或いは知らないかもしれないが、13年前にFacebook Platformなるものが発表された。ソーシャルグラフの上でウェブアプリが作れるようになり、Zyngaを始めとするソーシャルゲームの会社が我先にと中毒性に最適化したゲームを世に送り出した。
しかし、Facebook自身も2012年にIPOするや、ビジネスモデルを完全にモバイル広告に一点集中させた。IPO直後の売り上げの伸びが芳しくなく、株式市場の洗礼を受ける中で、スマホシフトに社運を賭けたのだ。プラットフォームとしてのビジョンはいずこ、いま残っているのは、ワンクリックで自分のオンライン行動ログをFacebookに献上できるFacebook Connectぐらいだ。ハシゴを外されたソシャゲの会社は次々と倒れ、首の皮一枚でネイティブゲームにシフトした最大手Zyngaも、未だ企業価値は絶頂期の半分である。
時計を15年先送りしてみる。2035年、noteは何をしているだろうか。そんなことは誰にもわからない。noteの経営陣だって、多分わからない。ネット商売というのはそういうもので、未来の不確実性は、誰のせいでもない。
ただひとつわかることーそれは、今あなたがクリエイターだとして、これからもクリエイターでありたいと思うなら、15年後も食っていかなくてはいけない、ということだ。
そしてサバイバルに於いて、一番避けなければいけないのは、自分の生活の糧を、赤の他人に託すことだろう。
クリエイターにとっての生活の糧はファンだ。作家なら毎作品欠かさず読んでくれる読者、音楽家なら、コンサートに足を運んでくれる聴衆だ。ファンがいないと、生活には安定は生まれないし、ファンがいればピンチも切り抜けられる。
もちろん、noteには、ファンを見つけ、増やし、キープする機能が備わっている。むしろ充実しすぎているくらいだ。noteにいる限り、これからも機能は足されていくだろうし、センスの良い販売促進機能も付け加わるとみている。
そう、noteにいる限り。
もしnoteが手数料を10%引き上げたとして、今がチャンスと新しいコンテンツ課金プラットフォームが出てきたとしよう。クリエイターの移行コストはどれくらいだろうか?
あるいは、noteが自分の望む機能の追加を渋り、痺れを切らしたあなたがWordpressなりJamstackなりで、自分でホストしようとした時、既存コンテンツはどう移行したら良いだろうか?
あなたはnoteの株主でなければ、中の人でもない。所詮はひとりのユーザーであり、彼らの競争的優位性をつくる歯車のひとつだ。替えはいくらでもいるのだ。
もちろん、これからnoteがこういった機能やらAPIやらを追加することは考えられる。ただ、今あるのは、note外のウェブサイトに言及したnote「を」書かせる機能と、自分のサイトに埋め込んだnoteの画像をデカくする機能だけ。残念ながらプラットフォームとしては未熟すぎるとしか言えない。
Twitterという警鐘
ここからは少しテクニカルな話になるが、個人的にはプラットフォームにとって最も大事なのはAPIで、アグリゲータにとって最も大事なのはデータだ。
プラットフォームの場合、クリエイターと消費者を繋ぐためには、様々なチャネルとの細かい連携が必要になってくる。もっとも素直な実装は、プロダクトの機能として足してしまうことだ。ただそれではnoteがクリエイターと消費者の間に立つことになる。なので一見遠回りに見えるが、APIを揃えて公開し、それをnote自身も使い機能として提供する、というのがプラットフォームとしての定石だ4。
一方、クリエイターと消費者の間に立つアグリゲータなら、真っ先にデータの囲い込みをするのが正しい一手だ。「データの重力」なんて表現があるが、データが溜まれば溜まるほど、アグリゲータの市場優位性は高まる。当然これはnoteにも当てはまる。実際ブラウザのネットワーク情報を見ればわかることだが、ログインしていようがいまいが、誰がどのクリエイターの何を見たか、しっかり追跡している。いわゆる回遊ログだ。
今だとおそらくこの回遊ログの使い道は、レコメンドと彼らが言う「弾み車」を回すための分析だろう。ただ将来、これを使った広告製品も作れるし、出版社向けの「クリエイターインサイト」的な分析ツールの提供も可能だ。
今のnoteの場合、プラットフォームとアグリゲータ、どちらに転ぶ可能性もあると思う。ただ、アグリゲータに転んだとしたら、クリエイターにとっては街は街でも、スラム街になる可能性がある。かつてFacebook Platformがそうであったように。
この手の話で言うと、Twitterもプラットフォームになれなかった会社だ。11年前、まだ新興スタートアップであったTwitterに関して、シード投資で有名なYコンビネータのPaul Grahamがこう書いている。
Om Malik is the most recent of many people to ask why Twitter is such a big deal.
The reason is that it's a new messaging protocol, where you don't specify the recipients. New protocols are rare. Or more precisely, new protocols that take off are. There are only a handful of commonly used ones: TCP/IP (the Internet), SMTP (email), HTTP (the web), and so on. So any new protocol is a big deal. But Twitter is a protocol owned by a private company. That's even rarer.
Curiously, the fact that the founders of Twitter have been slow to monetize it may in the long run prove to be an advantage. Because they haven't tried to control it too much, Twitter feels to everyone like previous protocols. One forgets it's owned by a private company. That must have made it easier for Twitter to spread.
(対訳)なぜTwitterがそんなにスゴいのかと、色んな人が聞く。最近だとOm Malikもだ。
Twitterのスゴさ、それは不特定多数にメッセージを送るプロトコルである点だ。あたらしいプロトコルは稀有だ。いや、あたらしいプロトコルが流行るのは稀有だと言った方が正確か。流行ったプロトコルといえば、TCP/IP(インターネット)・SMTP(Eメール)・HTTP(ウェブ)くらい。だからプロトコルである時点でスゴいのだ。しかもTwitterの場合、民間企業のプロトコルである。これはほんとにレアだ。
面白いことに、Twitterの創業者たちが収益化を遅らせていることは、後々有利に働くかもしれない。彼らが余りコントロールしようとしないことで、Twitterは他の(非営利団体が考案した)プロトコルのように感じられ、それが民間企業のものであることを忘れ、結果としてTwitterの人気を手助けしたのだと思う。
残念なことに、Grahamの予想は外れた。
Twitterというプロトコルは、大きなエコシステムを作ることはなかった。それは偶然でも戦略ミスでもなく、意図的なものだったと僕はみている。2010年以降、時折第三者クライアントを初めとする開発者たちにリップサービスはするも、APIの変更は時として急であり(2010年のOAuth)、時として明らかに排他的であった(2012年のユーザートークン上限)。結果として開発者エコシステムは育たなかったのだが、それは彼らがアグリゲータになろうと腹を括ったからだ。
Twitterのインフルエンサーとフォロワーの間に立ち、そのコミュニケーションを握ることで、2010年代を通して毎年二桁成長を遂げたデジタル広告費に食い入ろうとしたことは、悪いことではない。結果として、今時価2.5兆円の会社にまで成長できているのだから、少なくとも資本主義的には正しかった。
が、それはあくまでTwitterの投資家と経営陣としてであり、その「プラットフォーム」に乗っていた人たちではない。
noteがベンチャーである以上、彼らの最大にして最終目的は投資家へのリターンであり、それは場合によってクリエイターたちの利益と合致するとは限らない。
プラットフォームでいるには
部外者の個人的な感想になってしまうが、noteがプラットフォームでありたいのなら、いわゆるnote proで提供している機能を、もっと多くのクリエイターに提供することが、その第一歩だと思う。クリエイターがnote「を」書いている間は、それはプラットフォームではない。実はnote「で」書いていたんです、となって初めて真のプラットフォームになる。文藝春秋Digitalなどは、非常に上手くいった例だと思う。そうなってくると、クリエイターがみんなドメインを持っているわけではないから、DNSもやらなきゃいけなくなるだろう。
あとプラットフォームとして肝となるのがデータの可動性だ。noteで書いた自分のコンテンツくらい、APIで引っ張ってこれるべきだ5。そうすれば誰かが糊となるサービスを作り、その上に思い思いのCMSを載せられる。
ちなみに、noteのCMSは本当によくできている。だからこそ、真のプラットフォームなら、それを自分でホストできるオプションを提供してほしい。それでも大多数のクリエイターは、noteにお金を払ってサービスとして使うだろうし、GitHubみたいに、セルフホストでお金を取るのもありだ。
もっと欲を言えば、課金の仕組みだってAPI化できたらな、と思っている。誰だって自分で課金システムを一からはやりたくない。だけど、課金管理が面倒、というだけでnoteから移行できない将来があるとしたら、それはプラットフォームとしては悪手としか言えない。
さいごに
これだけ散々書いておいてこんなことを言うのもなんだが、ぼくはnoteに「プラットフォーム」として成功してもらいたいと思っている。自分が内向的で本好きということもあるが、書き手・作り手にもっとお金が回る世の中であってほしいし、その担い手候補としてnoteは良い仕事をしてきていると思っていて、これからもそちらの方に突き進んでほしい。
FacebookやTwitterのような、プラットフォームの皮を被ったアグリゲータにならないためにも。
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今日書くことは、Stratechery理論の応用でしかないので、もし読者が英語が読めるならThompsonのブログの方を読むことを勧める。Noteの話こそ出てこないが、この手の話がたくさん書いてあるので、色々と参考になると思う。
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厳密にはクレジットカードだと5%、携帯キャリア決済だと15%先に取られるので、クリエイターの設定価格から計算すると、身入りは68%から85.5%ということになる。
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まあ今思えばかなり批判的な記事を書いたのでブロックされたのだと思うが、ツイッターで絡んだ経験はないので、何がきっかけでブロックされたのか不思議だ。そもそもブロックされていたことに今気づいたのだが。
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この点、CXOの深津さんが、入社早々RSSをプロトコルとしてサポートしたことは、プラットフォームとしてとてもセンスが良かったと言えるだろう。
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厳密に言うと、note.comそのものがNuxtかなんかを使ったJamstackなので、コンテンツを引っ張ってくるAPIはある…だが僕の知る限りAPIは公開されてない。
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