2013-05-12
母の日に振り返る、ピアノの話
母の日である。
毎年覚えているほどの孝行息子ではないが、ブログのネタに困ったら母親の話題を書くほどにはマザコンなので、母の日にちなんだ話でも書こうと思う。
なにがなんでも母親がぼくに覚えてもらいたかったことが3つあった。英語・スキー・ピアノである。英語は14歳の時にアメリカに強制連行されたことで覚え(どう英語を学んだかについてはココに書いた)、スキーは毎冬連れていってもらったおかげで、自然と上達した。今でこそ年に一度くらいしか滑らないが、純白の山麓を見下ろしながら急斜面を駆け下りる時の快感は、いつやっても最高である。
そしてピアノに関してなのだが、これは自発的にはじめたものだ。幼稚園の年長の時の年度末の行事で、有志による音楽発表会みたいなものがあった。先生の「ピアノを弾きたい子はいるかな」という問いかけに、数人のクラスメートが手を挙げたのを見て、ぼくも参加することにした。
当時から日本人らしい奥ゆかしさなど微塵もなく、右手で「チューリップ」が弾ける自分はピアノができると自負していた。そして、幼稚園から帰ってきたぼくは、真っ先に我が家のヤマハに向かい、来たる発表会に備えるべく、「チューリップ」の練習を始めた。もちろん右手オンリーである。そして母親と多分こんな会話をしたはずだ。
—あら、ピアノ練習してるの。
—うん、音楽発表会があるんだ。
—何ひくの?
—チューリップ!
—へえがんばってね。
そして数日後、「チューリップ(右手オンリーversion)」をマスターした僕は、意気揚々と登園した。
演奏順は、ぼくが最初だった。床にギリギリ足がつくかどうかの椅子に座り、ぼくは威勢良く「チューリップ」を弾き始めた。緊張で汗ばんだ左手は、膝にぴたっと乗っている。
ドーレーミードーレーミーソーミーレードーレーミーレー
ドーレーミードーレーミーソーミーレードーレーミードー
ソーソーミーソー...ラーソーミーミーミーレーレードー
最初の手の位置から1鍵分右に指を動かさなくてはいけない「ラ」の前で少しつまったが、それ以外は完璧な演奏だった。
少なくとも、自分ではそう思っていた。クラスメートの反応は覚えていなかったが、みんなそれなりに空気を読んで拍手をしてくれていたはずだ。少なくとも担任の先生は、惜しみない拍手と賛美の言葉を送ってくれていた。
観衆の中に戻り体育座りをした僕は、自分の出番が終わったことに安堵し、クラスメートの腕前を拝見することにした。が、次の演奏が始まって少し経ち、鍵盤の上を華麗に舞うクラスメートの両手(そう、両手!)を眺めているうちに、ぼくは悲しい現実と向き合うハメになった。
一般的な基準で言えば、ぼくはピアノが弾けなかったのだ。
茫然自失の状態で家に帰り、半泣きで母親に「ピアノ教室に行きたい」と嘆願したのが、ぼくがピアノを始めたきっかけである。以来、大学に行くまでピアノを弾き続けることになった。
大人になった今思えば、幼稚園の演奏会で「チューリップ」を弾くと言ったぼくに対して、母親は「そんなの弾いても恥をかくだけだからやめなさい」と諌めることもできたはずだ。だが、彼女はぼくのやりたいように発表させ、自分の目と耳で己の実力を確認させ、自分の意志でピアノを始めさせた。あの時、母親に止められていたら、おそらくピアノ教室に通うことはなかっただろう。結局はまんまと母親の策に嵌まったわけだが、音楽に対する興味と、それ相応の素養を得るきっかけをくれたことには感謝している。
ぼくが育ってくる過程で、うちの母親は常に「英語・ピアノ・スキーの3つができるとモテる」と吹聴してきた。ぼくはその通りに育ち、英語も堪能で、ピアノも弾けて、スキーもできるようになったのだが、これまでモテたことなど唯の一度もない。つまり母親の言っていたことはデタラメだった、という話を先日知り合いにしたところ、こんなツッコミが返ってきた。
え、でも〇〇君、自分から言わないよね。スキーができることもスキー行くまでわからなかったし、ピアノが弾けるなんて今日初めて聞いたー
たしかに。別にこれは母親が嘯く三種の神器に限ったことではないが、自分からアピールができなければ人は気づかないわけだ。どんなスキルも、効果的な自己アピールが伴ってこそ、正しい評価が得られる。ぼくは他人を持ち上げるのもdisるのも得意だと思うが、こと自己アピールとなるとヘタクソなのかもしれない。
ということで、女性各位に連絡です。ぼくはピアノが弾けますし、スキーも教えられますし、英語はすんげえ上手です!合コン・デートのお誘いはiloveyoutodeath@ktamura.comまでお願いします。1
Happy Mother's Dayである。
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