2021-02-23

Thomas Sowellと教育

Thomas Sowellほど、アメリカ社会を象徴するインテリも中々いない。1930年ノースカロライナに生まれたSowellは、物心つく前に、生母から叔母に里子に出される。Sowellという名字も、Thomasという下の名も、彼がMomと呼ぶ叔母につけられたものだ。貧しい南部の黒人の家に生まれたSowellは、ニューヨークで育ち、海兵隊に服役したのち、ハーバード大学を卒業、その後コロンビアで修士号、シカゴ大学で経済学博士号を取得する。専門の経済学史を中心として、様々な分野で独自の見解を発表し、黒人だけではなく、20世紀アメリカを代表するpublic intellectualになっていく。今年で91歳になるが未だに現役で、スタンフォード敷地内にあるリバタリアンのシンクタンクHoover Institutionで研究を続けている。最近だと、Trumpを支持した悪名高き黒人の爺さんとして、一世代前ならRichard Bork裁判官の最高裁判事審問の証言人として、その名を聞いたことがあるかもしれない。

そんなSowell氏が書いた自伝が“A Personal Odyssey”1だ。ずっと日記でも書いていたんじゃないかと思うほどの綿密さで、Sowellは自身の半生を振り返るのだが、特筆べき点がふたつある。

ひとつは、教育、特に子供の教育への強いこだわりだ。与えられた環境の中で最高の教育を受けられるべきだという彼の主張には、自身の成功体験に裏付けされた強い想いを感じる。貧しくても、夜間高校の卒業生でも、大学一年次に24歳でも、そして市民権運動前の黒人でも、努力相応の教育を受けることができたから、今の自分があると。だからSowellは、必要とされる努力を、人種間で調整するAffirmative Actionに反対する。プロセスの公平性を損なうという思想的な問題もそうだが、実際に自分が数少ない黒人の教授として教鞭を取る中で、Affirmative Actionによって下駄を履かせてもらったマイノリティの生徒たちが、中々結果を出せなかったり、勉学に向き合う姿勢がなかったりする現実を見てきたからだ。

自伝を読むとわかるが、それでもSowellは黒人の、否、がんばろうとするあらゆる学生の教育に対して非常に情熱的である。Hoover Institutionに移り、教鞭を取らなくなったことでせいせいした、みたいなくだりがあったが、あれは一種のツンデレだろう。黒人の地位をアメリカ社会で引き上げるためには、「黒人にしては〜」と評価されるだけでは不十分だと信じており、根本的な初等教育格差の問題に取り組まずに、学力不十分の生徒を大学に入れることで帳尻を合わせようとする大学の欺瞞に愛想を尽かしたのだ。本当の教育をしたかった人間が、教育現場に幻滅する、というのは、現代社会あるあるなのかもしれない。

もうひとつSowellの生き方の特筆すべき点は、限りないまでのプロセスの公平性へのこだわりだ。印象に残っているのは、学術誌の編集者に招聘された時、「僕はここ最近学術誌に出版していないのですが、それでも声がかかったのは、なぜですか」と問い正し、実は自分がいわゆるマイノリティ奨励枠だったことを知るや、辞退したというエピソードだ。しかも声をかけてくれたのが、ノーベル経済学賞受賞者のKenneth Arrowだというから、大したひねくれ者である。SowellはHoover Instutionに落ち着くまで、いくつもの大学とシンクタンクを転々とするのだが、自分を取り巻くプロセスの不公平性を看過できなかったからで、彼の思想に賛同できない人でも、その生き方を批判する者はいないであろう。

無論、Sowellがこういう生き方ができたのは、本人が優秀で、稀有な存在だったからだ。その一方、我々の多くは、自分たちが生きる社会の公平性に対して考えるとき、どうしても軸を失いがちだ。自分に都合が良いものに賛成したり、周りの主張に流されたり、既得権益に忖度してしまったり。自分のその時々の立ち位置に依らない物の見方ができるようになることが、教育を通してしか得られないひとつの価値なんだろう、とアメリカ社会の縮図とも言えるSowellの半生を読みながら感じた。



  1. 最終章はオンラインで読める。

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