2021-02-19
成功を語らう人が唯一役立つのは、奢ってもらう時
こんなツイートをしたところ、それなりに反響があった。
「成功している人の今を真似ても、成功しない」というのは大体の人がわかること。誰もいきなりプロアスリートの練習メニューを真似しない的な。
— ktamura (@tamuramble) February 18, 2021
だけど「成功している会社の今を真似ても、成功しない」はナゼか理解されないんだよな。競合に執着しすぎるスタートアップは、大体このミスを犯している。
自分としては至極当たり前のことを言ったつもりだったのだが、意外にも共感を呼んだので、少し補足しておく。
別にスタートアップに限ったことではないが、概して成功の要因は複合的だ。よくよく考えれば当たり前で、成功は稀な出来事であり、稀な出来事が単一的要因によって引き起こされるとすれば、その単一的要因そのものが稀、ということになる。そして世の中そんなに稀なものはなかなか存在しない。なので、大抵の成功は、結果的に、何十もの要因がうまく積み重なった時に起きるレア事象というわけだ。
だが、こういった複合性は、成功体験の汎用性を下げることとなる。最終的にどの要因がどの要因とつながって成功をもたらしたか、誰も確証が持てないからだ。その一方、成功者には自由主義の語り部としての重圧がのしかかる。我々人間は、本能的に「深イイ話」を欲しており、起業シンデレラストーリーは、そのテンプレを忠実に守りきるミームである。結果として、検証しようがないし、多分間違っているけれど、物語としては面白い成功秘話が誕生していく。
僕自身、スタートアップで必死にもがいていた時は、周りの成功秘話を読んでは、自分たちと比較した。だが、時間が経つにつれ、そして自分たちの事業が紆余曲折を経ながらも「成功」していくにつれ、ほとんどの成功秘話が、あまりにも単純すぎることに気づくようになった。自分たちの一歩一歩を振り返った時、なぜその一歩が踏み出せたのか、正直分からないことがほとんどだった。
一方、失敗したスタートアップの死屍累々も散々見てきたし、自分たちもたくさんの失敗をした。失敗談の面白いところは、成功秘話と真逆で、色々な要因が語られるのだが、決定的要因は単純な場合が多い、ということだ。「創業者が喧嘩する」とか「間違ったタイミングで経験豊富な給料の高い人を雇う」とか「競合に気を取られてお客さんに向き合わなかった」とか、どれもシンプルで、あっさりとスタートアップを殺す。でもそういう失敗はなかなか語られないので、必然と情報量のバイアスを生み、不安と背中合わせの起業家を必要以上に悩ませる。会社で問題が起きていても、それがどれだけ普通だか、なかなかわからないーこんな想いをするスタートアップの中の人は少なくないだろう。
そういう背景があるので、公に自分たちの失敗を語る起業家は、それだけで尊い。最近だと、グッドパッチの土屋さんは好例だし、FailConは、一度行ってみたいカンファレンスのひとつだ。僕は今でも仕事の立場があるので、具体的に、公の場で自分たちの失敗を語るのは難しい。ただ、個人的に起業家に相談される時には、失敗談を中心に話すようにしている。これは、相手を勇気づけたいという想いもあるし、正直成功の部分に関しては、僕らのコンテクストに特化しすぎていて、参考にならないからだ。成功した会社に唯一共通点があるとすれば、それは「ラッキーだった」ということだけなのだ。
テックメディアのろくろ回しインタビューならいざ知らず、しっぽり飲む居酒屋の席で、自分たちの成功を必然のように語りアドバイスをする人がいたら、適当に相槌を打ち、潤った財布で奢ってもらおう。彼らから得られるものは、残念ながらご飯代くらいなのである。