2011-11-06

英語を速読できないメリット

先日、日本人の知人と話をしていたら、どうやったら英語がもっと速く読めるかと聞かれた。

そんなの知らん。

14歳で渡米してから12年が経つが、未だに英語を読むのは速くはない。何冊も本も雑誌も英語で読んできて、昔に比べれば英語を読むのは圧倒的に速くなった。それでも日本語の方が読むのは速い。

"Subvocalize"という単語をご存知だろうか。「聞き取れる音をたてることなく発話する」という意味だ。ぼくは英語を読む時に、完全なsubvocalizeとまではいかないが、最低でも頭の中で音読しないと頭の中に入ってこない。となると、頭の中で音読するスピードより速く読むことは不可能なわけで、そりゃ速読できないわけだ。

頭の中で速読しないと英語が頭に入ってこないことは昔からわかっていたが、これにはメリットもあることに、最近気がついた。

常に頭の中で音読をしているので、その分英語の表現方法や音のセンスに敏感になるのだ。

まず文法に関して言えば、英語に限らず文法というのはセオリーだけで説明できない部分が沢山ある。日本人の英語のミスで多いのは、基本的な文法よりも、慣用的で論理的に説明できない部分だ。常に頭の中で音読しながら英語を読むことで、セオリーを超えて、正しい自然な英語の表現力を養うことができる。

もう一つのメリットは、上手に韻を踏んだ文章やテンポの良い表現に気づきやすくなることだ。頭の中とは言え音読をしているわけだから、当たり前なのだが、同じ文章でも、意味を把握するだけに留まらず、テンポや言い回しの巧妙さといった表現上のテクニックまで意識がいく。そんなのなんの意味があるのかと思うかもしれないが、これは自分が英文を書くときに大きな助けになる。「ああ、なんかこの表現ヘンだなあ」「あ!こっちの方がしっくりくる」「これってなんか名スローガンっぽくない?私って天才!?」当たり前のことだが、上手に文章が書ける人は英語であれ日本語であれ、その分未来が明るい。

一つめのメリット(正しい自然な英語の定着)と二つめのメリット(文章力の向上)は同一じゃないのと思うかもしれないが、実はそうではない。多くのネイティブスピーカーが一つめを身につけているにも関わらず、二つめはネイティブでもできない人のほうが多い。全ての日本人が、秀逸な日本語を書けないのと同じである。日本語も英語も、ネイティブスピーカーはsubvocalizeせずに黙読しすぎなのではなかろうか。その結果、声に出すことはおろか頭の中でも音読せず、文章の内容だけを効率的に抽出するため、言語の音楽的・詩的な側面に対する意識が深まらないというのが、ぼくの見解だ。テンポや言葉の響きを踏まえずして、良質な文章を書くことはできない。

まあ今日一番言いたかったことは、英語が速読できないからといってコンプレックスに感じることも焦る必要もないということ。無理せずに頭の中で音読しながらじっくり読んでも、それはそれでメリットがあるのだ。できないことよりもできることに焦点を当てる--これは楽しく人生をやっていくうえで必要不可欠だ。

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