2012-08-19
見たままのアメリカン・モンタージュ
2012/08/16 19:00:00 Pacific Standard Time
最近、仕事でお客さんに会うことが増えたので、身だしなみを整えるべく散髪に行った。行きつけのヘアサロン(といっても中国人のおばちゃんが1人でやっている簡素なところ)が一杯だったので、オンラインで見つけた別のところで切ることにした。
ぼくの髪を切ってくれたのは、同い年くらいの、すらっとした細面の美人だ。白いTシャツの上に着ている丈の短い黒いカーディガンが、黒いジーパンとうまくマッチしており、モノトーンな服装と暗めの金髪のコントラストがきれいだった。ぼくが椅子に座ると、こう聞いてきた。
—どんな髪型にする?
—来週仕事で人前に立つので、みっともなくない感じにしてください。
—わかったカッコよくしよう!
—任せます。
—了解!
ぼくは基本的に髪型に全くこだわりがないので、いつもこんな感じだ。彼女は、黒いサロンエプロンをぼくに着せ、ちゃっちゃと髪を切り始めた。
昔からそうだが、ぼくは基本的におしゃべりだ。全く面識のない人とも平気で話をする。そしてもちろん、キレイな女の子と話をするのも好きだ。
いろいろと話をしていると、彼女の父親の話になった。
—お父さんは何をしているの?
—昔はエンジニアをしていたけど、今はリタイアしてレストランをやってる。
—へえ、どこのエンジニア?
—元々はSiemensにいたんだけど、最後は韓国の会社で働いてた。それで早期退職したの。
—なるほど...
—なんか韓国の会社はそりが合わなかったみたい。うちのパパも相当働きものなんだけど、みんな夜中まで働くのよ。仮眠室があってそこで寝る人もたくさんいるんだって。家族としてはパパが帰ってこなかったのは辛かったな。
—アジアの会社は夜遅くまで働くところが多いからね。
その後しばらく別の話をしていたが、ふと気になることがあったので、聞いてみた。
—君、アメリカ生まれ?
—違う。私生まれたのドイツなの。
—そうか、お父さんがSiemensで働いていたのも合点がいくね。
—そう。お父さんがトルコからドイツに移民したの、Siemensに就職をするのを機会に。そしてアメリカ社に転勤になって、そのまま家族で移住したの。私が5歳の時に。
—へえ。ドイツが恋しくなることある。
—ない。
—まったくないの?
—ないわ。だって...ドイツ人はトルコ人が嫌いだから。
ぼくは、まるで浦沢直樹のMonsterを読んでいるような気分になり、言葉をつぐんだ。「別にドイツ人みんながトルコ人が嫌いってことはないと思うよ」と言いたかったが、ぼくには知る由もない。ドイツに住んだこともなければ、トルコ人であったこともない。ぼくには、彼女の発言に対して、よく事情は背景を知りもせず、物を申す権利はないような気がした。彼女は黙ってぼくの髪を切り続けた。
2012/08/17 23:00:00 Pacific Standard Time
友人を空港に迎えにいった。空港までの道が空いており、思いの他早く着いてしまった。空港ほど、いろいろな人々の人生が交差する場所も少ない。ファーストクラスでしか旅をしない金持ちも、なけなしの金をはたいて買った片道切符の人も、同じゲートを出て、同じバッゲージクレームで荷物を探すのだ。着陸まで一時間近くあったので、ぼくは車を駐車場に停め、ゲートの所で待つことにした。
ゲートから出てくる人たちをぼーっと眺めていたら、迷彩服を来た、五分刈りの白人の青年が出てきた。左肩にかけた茶色のバックパックには、US Armyのロゴが入っている。軍人だ。
ぼくはアメリカ軍の一連の中東侵攻は、外交的にも経済的にも失敗だったと思うし、基本的に戦争には反対だ。でも実際に戦場に行く軍人たちには、アメリカ市民として、敬意を表する。アメリカは軍事国家だ。これだけ世界中で嫌われている以上、強い軍隊なくしてアメリカ人の快適な暮らしは保証されない。ぼくがのうのうとアメリカで生活ができるのも、何万人というアメリカ兵たちが、危険な任務に従事してくれているからだ。ぼくに彼らのような勇気はない。
もちろん、米兵全員が全うなわけではない。中には、兵士としての義務を忘れ、Abu Ghraibのような問題を起こしたり、市民を殺めたりするサイテーな奴らもいる。でも、ほとんどの兵士たちは、言われたままに、国防の任務をひたむきに遂行しているのだ。
その青年のもとに1人の女性が駆け足で寄っていった。無表情だった青年が相好を崩し、両手を広げた。その後しばらく2人は抱き合っていた。彼女か奥さんだかわからないが、青年の帰宅を長く何週間も—ひょっとしたら何ヶ月も—待ち侘びていたに違いない。30秒ほど抱き合ってから、2人は手をつないで帰路についていった。
その感動的な再会の1時間弱ほど後に、ぼくの友人は着陸した。が、彼は、ゲートのところで本を読んでいた僕の存在に全く気がつかずバッゲージクレームに直行し、さらに彼は携帯電話の電池を切らしていたので、公衆電話から僕に電話をしようと必死になっていたところを、電話に出ない(出れない)彼のことを心配していた僕が発見したというのは、言うまでもない。
2012/08/18 01:20:00 Pacific Standard Time
夜中に小腹が空いたので、近所のインド料理屋にいった。この店だけは、週末午前3時まで営業している。店頭にはIndian + Pakistani Foodと書いた看板がある。政治的には常にいがみあっているインドとパキスタンだが、食べ物の話となると別のようだ。さしずめ日本と韓国のようなもんだろうか。
中に入ると、ここはインド(あるいはパキスタン)かと思うくらい、インド系の人しかいない。ぼくはカウンターでDaal ChanaとGarlic Naanを注文し、発砲スチロールのコップでおかわり自由のMasala Chaiを汲み、座った。このレストランは座席自由で、料理ができると、番号札と引き換えに、料理を持ってきてくれる。
ぼくの向かいに座っていたインドっぽい人は、右手でキュウリとヨーグルトをごっちゃ混ぜにしたようなものを食べながら、真剣なまなざしで、壁にかかったテレビを見ている。何をそんなに真剣に見ているのかなと振り返ると、野球だった。一時新庄剛志も在籍していたSan Francisco Giantsの試合で、ぼくの目の前の人は、試合の内容に一挙一動していた。どうやらGiantsのファンのようだ。
インド・パキスタンと言えばクリケットだ。日本とアメリカで育ったぼくからすれば、ヘンテコな野球のまがい物にしか見えないのだが、インド人・パキスタン人・スリランカ人の知り合いは、野球こそクリケットのまがい物だという。中でもトレーダー時代の同僚のインド人は、熱狂的なクリケットファンで、毎日このサイトで試合をチェックし、彼にとっての「ワールドカップ」は、サッカーではなくてクリケットのワールドカップのことだった。
そんなこともあり、ぼくの中では、インド・パキスタンと言えばクリケットであり、自分の目の前のインド人と思われる青年が、真剣に野球を見ていることが、少し面白おかしく感じられた。郷に入っては郷に従えというやつなのだろうか。そもそも彼がインド人であるということ自体、ぼくの勝手な思い込みであり、例え彼がインド人だったとしても、「インド人は野球に興味がない」という、これまた勝手な思い込みをしているわけだが。
いずれにせよ、手で直接食べるという点に関しては、例えアメリカにいても、譲れないみたいだった。
...and?
この3つの話は、アメリカの生活の、ごくごくありふれた情景だ。別になんか結論があるわけではないが、強いて言えば、一言にアメリカといっても、いろいろな側面があるということだろうか。これはアメリカに限ったことではない。日本も韓国も、シリアもイスラエルも、イギリスもフランスも、それはそれはいろいろな人が、いろいろな背景を持って暮らしているに違いない。
だからこそ、日本はこうだ、アメリカはこうだ、イギリスはこうだ、欧州はこうだ、キリスト教徒はこうだ、イスラム教徒はこうだ、ホモはこうだ、レズはこうだみたいな断定的な議論というのは、避けるべきだと思うのだ。それでも愚かな人たちはたくさんいるもので、TwitterにしろFacebookにしろ、目を覆いたくなるような発言を散見する。
別にぼく自身が、そういう誤った発言を全くしないわけではない。だが、少なくとも細心の注意を払い生活しているつもりだ。そして、繰り返し繰り返し、目を疑うような不正確で、無神経で、愚鈍な一般論を垂れ流す人たちを見る度に、「なんて軽薄なのだろう」と感じるのだ。