2014-07-06
ちきりんはおばちゃまの論理
あんまり批判的なことを書かなくなったと揶揄される当ブログだが、久しぶりにネタが放り込まれてきたので、筆をとることにした。据え膳噛みつかぬはブロガーの恥である。
沖縄のリゾートに行って思うように泳がせてもらえなかった、ちきりん御大いわく、日本はおこちゃまの国らしい。おこちゃまの国で過保護だから、管理職が愚鈍で、思うように自然が楽しめなくて、終いにはサッカーワールドカップも含めて「戦うってことを本能的に身ににつけた国の人に勝つのは、ホントに難し」い国だそうだ。
もうツッコミどころだらけのエントリーでどっから攻めたらいいのかわからないが、徒然なるままにいきます。以下斜体部は、ちきりん日記からの引用。
アメリカは「熊が出るような場所に住んでるなら、ちゃんと拳銃を準備しておいて、自分で撃ち殺せ」という社会だし
おうおう。ほいほい手に入る拳銃で年間1万人以上が殺害されていて、たまにトチ狂った人間が無差別発砲するアメリカな。ビジネススクールでちょろっとしかアメリカに住んだことがないちきりんに、アメリカ社会と銃規制の歴史の何がわかるというのだろうか。ドライなロジカルシンキングを売りにする彼女に、多数の小学生を含む28人の犠牲者を出したSandy Hook小学校での無差別発砲の話1をして、感傷的な中傷をする気はない。だが、アメリカは「熊が出ないところでも、隣人が怖いから、憲法で武装することが保証されているから、ヤク代を払わない奴を見せしめに撃ち殺したいからハンドガンを準備する」国でもある。テキトウなことを言うんじゃない。アメリカで子供の一人でも育ててからアメリカと銃規制について語れや。2
一方の日本って、何の面でもほんとーにお節介。自然と遊べる場所だけじゃない。金融や労働市場、学校でも同じ。しかも規制が増える理由は、「国民を守る」ためではなく、「自分が管理責任を問われるとイヤだから」だったりする
ぼくはちきりんみたいな、ではの守3ではないので、自分がここ15年住んでいるアメリカ以外の国で、規制うんぬんがどうなっているか知らないし、偉そうに語ろうとも思わない。ただことアメリカに関して言えば、規制で縛らない代わりに、「絶対に何があっても私はあなたを訴えません」という類の誓約書を日常的に書かせられる。これはスキー場でスキーをレンタルする時もしかり、ジムに入る時もしかり。そしてその細かさといったら病的である。
なぜか?そうしないとアメリカ人は何から何まで訴えるからだ。たぶんアメリカ社会はどっかの時点で、「あらかじめ規制で縛るよりも、規制はある程度緩くしておいて、『これはオカシイ』と思う奴らが法的手段に訴えればいい」というスタンスを取ったのだろう。いや、規律と伝統でがんじがらめのイギリス社会から逃げ出してきたアメリカ人たちは、最初からそうだったのかもしれない。なんせ「自分が追っかけていたキツネを他のやつが撃って4盗みやがった」というのが、財産法の根幹をなす国である。訴訟とアメリカ文化は切っても切れない関係にある。
そう考えると、こと日本とアメリカを比べるならこんな感じになる。
- 日本:あれもダメ!これもダメ!どれもダメ!とにかく安全!
- アメリカ:あれもOK!これもOK!問題あったらリーガルハイ!古美門さん、前へ!
どっちがいいかは人次第だろう。ただアメリカ的な物事のやり方の問題を明確にせず、一方的な比較をするのは、MECEを売りにするちきりん御大にしては耄碌しすぎじゃないだろうか。
だいたいね。「自己責任」という言葉を、否定的な言葉だと思ってる人がこんな多い国も珍しい。本来、自己責任というのは、個人が自分の責任の範囲において、自由を謳歌できるって意味なのに
そんなに多いだろうか?データはどこだろう。或る人が、特定のフレーズに対して感じている感情というのは、どう測るのだろう。そもそも、万人が「自己責任」を同じ意味で捉えているのだろうか? もし「自己責任」を「問題があった時だけ責任を負い、結果を残したとしても上に評価されない」ことだと思っている人たちがいたら、彼らはその意味をどう肯定的に解釈できるのだろうか。
戦略コンサルとして日本とシカゴで働いていた友人が言っていたことだが、アメリカと日本のクライアントの最大の違いは、日本の現場は決断力があり上層部の意思決定が遅いのに対し、アメリカは、上層部の意思決定が速いのだが、現場が何も決められないそうだ。それは日本の方が現場の規則がかっちりしていて解釈の余地がないから(つまり現場はルールに従ってすぐ決められる)かもしれないし、ひょっとしたら日本の方が現場の「自己責任」が大きいからかもしれない。
何が言いたいかって、ちきりんおばちゃん、あなたの論拠はどこですかーエントリー眺めてもわからないーワンワンワワーンということ。データとそれに対する客観的な分析を見せてくれるのなら、もっと納得がいくのに誠に残念である。データがない以上、実際に戦略コンサルとして日米の両方の会社を数社見てきた友人の話の方に、信憑性を感じざるを得ない。
ただし、こんなおこちゃまな国が世界の戦いで(なんの分野であれ、闘志や戦う気力やサバイバル能力が問われる分野で、)強くなろうなんてのは、あきらめたほうがいいと思います
そうか、そうだったのか!
ぼくは以前から、なぜ日本からアメリカにMBAを取りに来た人が、卒業後勇んで日本に帰るのか気になっていた。確かちきりんもその一人である。彼らが帰日する決定的理由は、日本がおこちゃまの国だからに違いない。日本の過保護な環境でぬくぬくと育ったエリートたちは、アメリカの錚々たるMBAを出ても、闘志と戦う気力とサバイバル能力が欠落しているから、日本におめおめと帰るわけだ。
…なんてことを言ったら知り合いのMBA達に嫌われるだろうな。だが、アメリカはとにかく疲れる国である。自由ではあるが、何をやるにしても戦わなくてはいけないし、自分で自分の身をあらゆる側面で守らなくてはいけない。その分、何かを成し遂げた時には、スケールもデカいし、何より潜在的アドバンテージなど何もなかったことを重々理解しているので(これはアジア系移民としては特にそう)、達成感もすごいある。
ただ、そういう環境で生き延びられなければ、日本が「世界の戦い」で勝てないかというと、ちょっと違う気がする。おそらくアメリカでMBAを取った日本人たちの多くが帰日するのは、そういう意味もあるのだろう。日本人であることが何も評価されず、英語で毎日丁々発止やらなくてはいけないアメリカのビジネス社会に身を置くよりも、海外に出たことで日本の良さと悪さを再認識し、それを心に刻んだ上で、「日本人として何ができるか」考えるから、日本に彼らは帰っていくのだ(と信じている)。
おわりに
ちきりんさん。ぼくは以前、あなたの文章のファンでした。ただ、最近のあなたの文章は、メイロマの罵詈雑言(マイナス品格のなさ)にかなりのスピードで収束しつつあります。そうなると完全に社会悪です。こっからは邪推ですが、やっぱりビジネスの一線から退くと、頭のキレというのも鈍るのかなと。
沖縄、いいですね。ぼくも行きたいです。