2012-07-15
英語ができるようにならない理由
海外に住んでいる日本人を見ていて思うのだが、いっこうに英語が上達しない人と、上達していく人がいる。ここで言う上達というのは、ネイティブのように流暢に話せるようになることではない。アクセントがあってもいいから、自然な文法と表現で、意思疎通ができることだ。別に統計をとったわけではないが、ぼくの周りにいる数十人の日本人を見る限り、ほとんどの人たちが前者だ。
英語が上達しない人たちを眺めていて、ある共通点に気がついた。彼らはみんな日本語の誘惑に負けているのだ。
英語に限ったことではないが、習熟度と費やした努力の関係をグラフにするとこうなる。
なぜこうなるかはカンタンで、習熟度の低い段階では、勉強するモチベーションがなかなか湧かないからだ。日本語だったら数時間で一冊読めるのに、英語だと辞書を眺めている時間の方が、本を読んでいる時間よりも長かったという経験のある読者もいるのではなかろうか。(筆者もアメリカに来て数年はそうだった。)そんな状態で、英語の学習が楽しいわけがない。
しかし、一旦そのレベルを超え、一定の英語力が身につくと、俄然、英語の勉強に身が入るようになる。あまり辞書を引かずに英語が読めるようになるので、得られる情報量が大きく増える。また、英会話をすることが苦痛でなくなるので、以前よりも積極的に英語で意思疎通をはかるようになり、コミュニケーションの輪がぐっと広がる。そうすると英語の読む量、書く量、話す量が増えるので、相乗効果で習熟度がグイグイあがっていく。帰国子女の人が、再び海外に行くと、あっという間に英語が上達するのは、すでにあるレベルを超えているからだ。
つまり、英語ができるようになるには、曲線が平らから急勾配になる変曲点まで自分を持っていくこと、ということになる。そこまで行けば後は何をしようが問題ない。問題は、その変曲点の左側だ。
日本人が英語を学ぶうえで、日本語を話すことは基本的に障害となる。認知言語学的な説明ができるわけじゃないが、英語を覚えようとしている時に日本語に触れても気が散るだけだ。しかし英語が上達しない人に限って、変曲点の左にいるにも関わらず、すぐ日本語に触れたがる。一歩進んで二歩下がるではないが、それではいつまで経っても、変曲点の右側には辿りつけない。
英語圏で生活をすれば英語が上手くなると思っている人が沢山いる。事実、ぼくも自分がアメリカに来るまで、渡米すれば、大した努力もせずに英語が上手くなると、たかを括っていた。だが残念なことにそんなミラクルはないのである。学生の頃に英語圏で生活をすれば、それだけ自らを英語漬けにしやすいのは事実だ。でも、インターネットが普及している今日、動画にしても、文章にしても、日本語と触れ合おうと思えばいくらでもできる。14歳で渡米したこともそうだが、大学に行くまでハイスピードインターネットがなかったことも、自分はラッキーだと思う。
別に彼らを批判するつもりはないし、日本語に触れたいその気持ちもよくわかる。だが、日本語の文章を読んだり、日本のバラエティ番組やドラマを見る度に、彼らは変曲点の左のなだらかな坂を、ずるずると左に落ちているわけだ。
つまり、真剣に英語がうまくなりたかったら、こんなブログ記事を読んでいる場合ではないというセルフネガキャンで終わりにする。