2012-03-11
16年越しの決断術
16年来の付き合いの旧友が書いた本を読んだ。「東大式決断術」という、タイトルで釣りにいく気満載の本だ。
東京の有名な私立小学校に通っていた彼と、多摩川を臨むいたって普通の公立小学校に通っていた僕を引き合わせたのは、中学受験だった。ぼくの学区の中学校は評判がよろしくなく、小学校3年生の頃から、回避手段として中学受験することを漠然と考えていた。どうせ受験するならば真剣にやろうということで、スパルタで知られていたサピックスという塾に、小学校3年生の2月から通いはじめた。それも何を思ったか、どうせ通うなら、本校に通いたいということで、家から一時間近く離れた日本橋の本校に通いはじめた。「東大式決断術」の筆者、今井くんは、そこでのクラスメートだった。それから丸3年、ぼくたちは机を並べて勉強した。
小学校時代のぼくは、とにかく勝ち気で、負けず嫌いで、思いやりのかけらもないイヤなヤツだったと思う。今の自分がいいヤツだというつもりは全くないが、今よりさらにイヤなヤツだったということは間違いない。塾のテストで誰よりも良い点数をとることだけが生き甲斐だった。来る日も来る日もひたすら机に向い、本番の受験がやってきた頃には、志望校に合格することとかは、二次的な問題になっていた。
それに比べ、今井くんは当時から、醒めていたというか、現実的だったと思う。別に成績が悪かったわけではないが、がむしゃらに勉強をしていた印象はなかった。小学校の学校行事もきちんとこなし、塾でも、一番ではないが、それなりに良い成績をとっていた。
そして1998年2月、ぼくたちは中学受験をし、無事志望校に合格し、同じ中学に行くことになった。ぼくは14歳で渡米し、海の向こうでの生活を選んだ。今井くんは、一緒に入学した進学校で中高を過ごし、東京大学に進み、ロースクールでエリート街道まっしぐらだ。いや、正確には、この本を読むまで、彼はエリート街道まっしぐらだと思い込んでいた。
この「東大式決断術」という本は、通読すると、あたかも「賢い東大生が教える、もっと効率の良い人生の生き方」の本のように思える。でも、各章の冒頭で引用される偉人たちの言葉と、ちきりんを彷彿されるイラストの間に、彼が口頭では絶対に語らない、苦労と努力を垣間みた。
ぼくの中での今井くんというのは、何事もそつなくこなす、優等生だ。イケメンで、運動神経もよく、音楽にも長け、超がつく高学歴。こんなにいろいろと兼ね備えた人も珍しい。でも、そうすぐに万能人間は生まれないわけで、彼には彼なりの苦労と努力があったのだろう。この本に書いてあるアドバイスを、彼はおそらく逐一実行しているのだ。昔、ぼくの家に来ていても、寝る前の腹筋運動を欠かさなかった彼を見て、「まるでThe Professionalの殺し屋だな」と思ったが、今ふりかえれば、あれも能動的に人生を生きる彼のスタンスの一面だったのだ。この本には、有名どころの自己啓発やマネジメントの本が数多く引用されているが、最大の参考文献は、創意工夫とたゆまぬ努力で人生を頑張ってきた今井くんの実体験に違いない。彼の半生も、ぼくが知ることのない失敗や試行錯誤の連続だったのだろう。
タイトルの「東大式決断術」は、「東大法科大学院に在籍の都会のスーパーエリートが語る、実は僕だって散々辛酸をなめてきたし、挫折も味わっている式決断術」の略で、カバーデザインの都合上、大幅に短縮されたのだろう。一見パーフェクトなエリート野郎も、いろいろと失敗しているんだよということを知るためだけにも、一読を勧める。中学受験の狂気の中でも、バランス感覚を失わなかった彼ならではの本だ。
別にお涙ちょうだい的な本では全くないのだが、読み進めるうちに、塾で机を並べたこと、一緒に中学合格を祝ったこと、志賀高原で一緒にスキーをしたこと、ぼくが渡米する前夜に麻雀を一緒にしたこと、中学生の時にセックスしたいと叫びながら我が家のベッドで跳ねていたこと、自宅に電話するといつも丁寧に「はい今井でございます」と電話口に出てきたこと、中学生の頃から言っていた弁護士になるという夢を着実に実現しつつあることなどを思い出し、不覚にも涙腺が緩んだことを、恥ずかしながら報告しておく。
たけ、これからもよろしく。