2013-11-06

「生きている」ということ

先週、懐かしい名前を、突如友人のツイートで目にした。

長尾健太郎とな

何があったのかと思い少しググってみたところ、長尾健太郎さんが、先月お亡くなりなったということがわかった。31歳だった。持病との16年間に渡る闘病生活の末とのことだ。

長尾健太郎。

彼をどの時期に知っていたかで、人は彼のことを「神童」とも「天才」とも「未来を嘱望された若手数学者」とも形容する。ただ一環しているのは、彼の頭脳力と、それに劣らない人格に対する尊敬と敬愛だろう。

実は筆者も、二度だけ彼にお会いしたことがある。いや、正確には一度見かけたことがあり、その後一度だけ言葉を交わしたことがある。

最初に見かけたのは、数学オリンピックの春合宿1だった。もちろん僕は春合宿に選抜されているわけがなく、無理を言って春合宿を見学2させてもらいにいったのだ。当時ぼくは数学オタクだったので、「大学への数学」(という数学オタク中高生向けの雑誌がある)で名前だけ知っていた「著名人」たちが目の前にいて、ドキドキしたのを覚えている。長尾さんは、そんな「著名人」たちの一人だった。

それから数か月して、ピーターフランクルさん3が、中学生向けに土曜日に数学とジャグリングを教えるという試みをはじめた。何回目かの時に、たまたま長尾さんがピーターさんを訪問していたので、挨拶をしようとしたところ、向こうから声をかけてきてくださった。

「あ、君、春合宿の時に来てた…」

春合宿の講義に潜り込んでいた中一のガキのことなんぞ覚えてないと思っていたぼくは、長尾さんの記憶力に感心、感動してしまった。夕方帰宅して真っ先に母親に、「ねー今日長尾健太郎に会った」と、興奮冷めやらぬ間に報告したことを覚えている。ぼくの人生と、長尾さんの人生が唯一交差した日だった。

そして、すでに交差した二つの非平行な直線のように、その後ぼくたちの人生はどんどん離れていった。

長尾さんが東大から京大、名大と数学者の階段を上る一方、僕はいつしかアメリカに住むようになり、気がついたら数学者の道も諦めていた。それでも季節の変わり目、自分の人生の節目には、「長尾さんは今何をしてるんだろう」と思い、ググったり、共通の友人と飯を食う時に近況を聞いたりして、彼の人生の大小の変化を知っては、勝手に喜んでいた。一種の追っかけだったのかもしれない。

しかしそれももう終わりだ。これから先、何度その名前をググっても、彼の簡素なウェブページをチェックしても、何も新しいニュースはないだろう。彼の人生は、すでに幕を閉じたのだ。

今ぼくが感じているのは、今年のあたまaaronswが自殺した時にも感じた悲しみに近い。ぼくが長尾さんと過ごした時間は、ほんの数時間だし、aaronswに至っては、一度だって会ったことがない。それでも心には大きな穴があいていて、そこをゴォーッと暗鬱としたものが流れるのだ。

こういう時、ぼくは「生きている」ということのオントロジー的な強烈さを思い知る。例え一度の会ったことがない人でも、たとえ今後会うことがないかもしれない人でも、その人が生きていて、活動し続けているというだけで、人は、—少なくともぼくは—安堵するのだ。そして、その人が、長尾さんやaaronswのように敬愛する人間であれば、彼らが存在し続けることが人類にもたらす正の影響のようなものを、微笑ましく思い、心の中が温かくなるのだ。

だが死はそれを否定する。「生きている」という認識を真っ向から否定する。残酷なほどまでにはっきりと否定する。そしてぼくは非常に初歩的で哀しい推論を強いられることになる。

もう彼らとぼくの年齢差は一定ではないこと。

彼らはもう意識を持っていないこと。

ひょっとしたらいつか(また)会えるんじゃないかという淡い願いは二度と叶わないこと。

人類は多分、彼らの生前に比べてちょっとザンネンなこと。

そして、そういう悲しみを感じるたびに、陳腐と言われるかもしれないが、想いを改める。自分のまわりの生きている人たちとの有限な時間を大切にしようと。

長尾健太郎さん、ご冥福をお祈りいたします。



  1. 数学オリンピックというのは、高校三年生までが参加できる数学コンテストで、予選→本選→春合宿という選考プロセスを経て、日本代表を6名選ぶ。ぼくが受けたころは、大体1000名ほどが予選を受け、うち80名ほどが本選に進み、本選の成績優秀者12名が春合宿に招待されていたはずだ。春合宿ではトレーニングと、さらなる選抜試験を行う。日本代表の6名は、国際数学オリンピックというものに出場し、2日間に渡って一日3問ずつ難問に挑戦する。ふつうのオリンピックとは違い、トップ○○%に金メダル、次の○○%に銀メダルという風に複数の人にメダルが授与される。

  2. クラスメートのO君は、若干13歳にしてトップ12名にランクインしており、一所懸命選抜問題に取り組んでいた。彼はその年、無事6名の代表に選ばれ、国際大会でも銀メダルを貰っている。

  3. 大道芸人+数学者のハンガリー人のおじさんだ。以前は平成教育委員会とかによく出ていたので、結構数学に関係のない人も知っていたのだが、今はどうなんだろう。

Creative Commons License