2013-08-19
コミュ障なのはIT戦士じゃなくてテレビのディレクター
日本に仕事で来ている。先日、シャワーを浴びてホテルの自室でぼんやりテレビを見ていたところ、とある番組で、徳島県の神山 町の話を特集していた。IT関係の方々はご存知かもしれないが、四国のリアル田舎にある神山町は、ハイスピードインターネットが町中に敷かれており、ネット回線さえあれば基本的にどこからでも業務ができるIT関係者・特にソフトウェアエンジニアたちが、仕事の合宿に来たり、そのまま移り住んでいる。リアル田舎&IT企業という一見奇抜なコンビの背景には、過疎化で悩む神山町の町をあげて若者を誘致しようという努力があり、先のネット整備は、その中核となる施策のひとつだ。
もうこの時点で、いかにもテレビが好きそうな話である。ぼく自身もエンジニアではないが、IT企業で働いているので、どういう切り口で取材がすすむのか、興味深く見ていた。
まあ結論からいうと、がっかりである。
番組は、「とある名刺デジタル化サービスのリーダー的企業」という、1IT業界だったら誰だって「ああSansanのことね」とわかる企業の3人のエンジニアに焦点をあてている。20代後半から30代前半の彼らは、開発をガガっと進めるべく、数週間の合宿に来ており、最初はなかなか神山町の地元民と溶け込めない。が、いろいろな人と食卓を囲み、夏祭りといったローカルなイベントに参加することで、徐々に打ち解けていく。合宿を終えるころには、殺伐とした不夜城にはない人のあたたかさを感じ、神山町の人たちへの感謝の気持ちと、名残惜しさを胸に、彼らは東京に戻っていく。
もう完璧なテレビ向け台本である。プログラムは書けるけれど、人付き合いは苦手なプログラマ。ITなんていう難しいことはわからないが、今も昔も神山を愛し、地域の結びつき、人情と思いやりをなによりも大事にする田舎の人々。まったく違うタイプの人間たちが交流することで生まれる小さな心境の変化。これぞヒューマンドラマ。
…がぶっちゃけると、ITの人間かどうか、プログラマかどうかってあんまし関係なくね?
東京育ちの、ITやプログラミングとほど遠い職についている友人たちを見渡しても、なんのつてもない田舎の町に急に放り込まれて、すぐ同化できる人なんぞ殆どいない。もっとぶっちゃけてしまえば、東京育ちかすら関係があるのか怪しい。東北の田舎町の人を急に神山町に放り込んだら、軽々とコミュニティに同化するという保証がどこにあるのか。冷静に考えると、こういう対人能力ってどこで育ったとか、何を生業としているより、その人個人がどう育って、どういう風なコミュニケーションを得意としているかに依るはずだ。新天地に行ってすぐ溶け込めるのは、標準装備のスキルではなく、特殊能力である。
じゃあなんでこんな取材の仕方をするのか?それは聴衆一般の既有ステロタイプを裏づける陳腐な話をつくることで、安易に面白さを提供できるからだ。
IT企業のプログラマなんて、どうせラップトップの画面ばっかり見ているオタクだろ。まともに相手の目も見て話せないんだよ、きっと。ほら見ろ、神山町に来てたって挨拶の一つもしないじゃないか。2まあそんな奴らでも環境次第で変われるんだよね。やっぱ環境だいじ!
別に番組のディレクターが明示的に上に書いたようなゲスいことを考えているというわけでは断じてない。ただ、その断片みたいなものは制作側にも視聴者側にも点在している気がする。そして、それに対して違和感を感じる人たちは一定数いて、そういう人たちからすれば、この手の恣意的な番組はどうしてもいただけない。筆者もそんな違和感を感じる人間のひとりだ。
同じ神山町の話をするにしても、他のやり方はあったのではないか。外からみたら一見コミュ障なエンジニアの世界3のコミュニティ・コミュニケーションに光を当てるのではだめなのか。ネットの仕組みも知らないディレクターが、やはりネットに無知な聴衆に対して、ソフトウェアやネットの仕組みを熟知して有用なサービスを作っている人たちを上から目線で語る番組しか作れないものなのだろうか。
テレビという強大で協力な媒体をもってしても、紋切型の話しか編み出せないテレビの制作陣こそがコミュ障なんじゃないかなと。