2013-07-03
君が英語話せないのは二次的な問題
私はね、お医者さんになりたいの。でもお医者さんになるためには大学でいい成績を取らなきゃいけないし、その大前提としていい大学に行かなきゃいけない。なのに私ったら高校の数学なんかでつまずいている。もしこれで悪い成績を取っちゃったらお医者さんになる道が閉ざされちゃう。ひょっとしたらもう閉ざされているかもしれない。そしてこんなことで悶々としている自分が悲しい。
高校3年生の時のことだ。一学年下の親友が、微積分かなんかのテストで落第点を取り、人通りが少ない階段のところでさめざめと泣いていた。耳を傾けるというのが友達としてできる最小限の努力だと思い、隣に座って一生懸命話を聞いていたのだが、当時ぼくは渡米して3年経つか経たないかくらいで、お世辞にも英語は上手ではなく、ぶっちゃけ、聞いていることの半分くらいはわかっていなかった。
そんなぼくだったが、彼女が次の瞬間に放った一言は理解できた。
I want to kill myself.
ワタシ ジブンヲ コロシタイ
おい、まじか。ぼくは無い脳味噌と、足りない英語力を駆使して、どうにかして彼女を勇気づけようとした。漫画で仕入れた「死にたがっている人に『ガンバレ』と言ってはいけない」というアマチュア心理学を参考に、こう言ったつもりだ。
がっかりするのはわかるけど、絶望しちゃいけない。別にお医者さんになることと微分積分ができることはあんまり関係ないと思う。それに、もし自分がお医者さんを選ぶとしたら、人生ずっと順風満帆でエリート街道まっしぐらで来た医者よりは、いろいろと失敗を重ねながら紆余曲折を経てようやっと医師免許をとった医者を選ぶな。そっちの人の方が弱者の気持ちがわかりそう。患者って絶対的な弱者でしょ。
無論、ぼくがそんな流暢に話せたわけがない。上に書いたのはあくまでも自分が言いたかったことで、実際にぼくの口から出た言葉は、たどたどしくて整合性が取れておらず、一生懸命聞いてくれた親友も、ピンと来なかったようだ。再び空気はどよ〜んである。
言葉で伝えることを諦めたぼくは、ノートから1ページ破り取り、そこにヘタウマ(あるいは単に下手)な、カワウソとキツネを足して2で割った様な哺乳類のイラストを描いてみせた。
それを見た彼女は、真っ赤に泣き腫らした目を細くして、けっけっけと笑いだした。
当初言いたかったことは何も伝わらなかったが、「親友を励ます」という最終的な目的を果たせたぼくは、ほっと胸をなで下ろした。
結局彼女は気を取り直し、明日からまたがんばると言って帰路についた。イラストを貰っていいかと聞いてきたので、快諾した。
11年前のことだ。
こんな話をしたのは、アメリカで孤軍奮闘する日本人のモバイルエンジニアが書いた、「僕が英語話せないのは日本の教育のせい」という文章を読んだからだ。その人は、一向に英語でのコミュニケーションが上達しない自分に苛立ちを覚えており、その部分的原因は日本の英語教育だと息巻いている。
受験の為の英語を減らして、本当の英語に触れる時間を増やすべきです。細かい文法とか、ニッチな単語とか、そういうのは英語が使えるようになってから、個人個人で覚えたら良い話です。その前に実際にネイティブの人と少しでも会話をして、外国人に対する恐怖心を取り除いたり、習った英語が実際に使えるという小さな成功体験を積む方が遥かに重要な気がします。
彼の言うことが間違っているわけではない。確かに、実際に英会話をする機会を持つことは、英語ができるようになる上では欠かせないので、そういう場所を学校が提供できれば、日本人の英会話力の底上げにつながるかもしれない。
ただ、彼自身に関して言えば、考え方が後ろ向きで、非生産的で、情けないと思う。
第一、彼はプログラマーだ。拙い英語にも関わらず、アメリカの会社でプログラマーとして仕事を得ているのだから、立派な技術者なのだろう。だったら、それをベースに意思疎通を図ればいい。口で言うのが難しいなら、自分の時間でアプリを作って同僚に見せればいい。京大を出たエリートで、英文法に自信があるんだったら、コードレビューやEメールで自分の考えを的確に表現すればいい。11年前に筆者が書いたイラストではないが、「英語で会話すること」に依存しないコミュニケーションの取り方はいくらでもある。あとはどれだけ本人がコミュニケーションをとることに対して貪欲であるかだ。そしてこの青年からは、貪欲さのカケラも感じられない。
会ったこともない人に説教をするつもりはないが、甘えるんじゃない。愚痴を言うのはもっと頭を働かして、手を動かしてからにしろ。君が当たり前のように身につけているプログラミングというスキルは、英語が話せることなんかよりも何倍も稀有なスキルなんだ。卑屈になって日本語で文句を書き散らすのではなくて、もっと自信を持って、前向きに生きていってほしいというのが、同じ米国に住み、やはり英語でさんざん苦労してきたブロガーの言い分だ。
ぼくの高校時代の親友は、結局お医者さんにはならなかった。MITとかいう理系オタクで溢れる寒い地域の大学を経て、今はニューヨークでファッションデザインの道に進んでいる。