2012-02-09

14歳の、アメリカに行ってエンジニアリングを学びたい少年へ

Rubyのパパことまつもとゆきひろさん経由で、アメリカに行ってエンジニアリングを学びたい少年の存在を知った。今14歳、中学を出たらアメリカに来る予定らしい。

ぼくがアメリカに来たのも14歳だった。いや、正確には、親の仕事でアメリカに来たのが14歳だった。以後ぼくはアメリカに残り、今年で13年目になる。26歳の若造に何が言えるかわからないが、いくつか彼に言っておきたいことがある。以下は、まあ公開の手紙のようなものだ。


@clooooteさん

はじめまして。アメリカに行ってエンジニアリングを学びたいとのことですが、人生のちょっと先輩として、いくつか助言をしたいと思いました。何かの参考になれば幸いです。

中学卒業と同時に渡米を考えているとのこと、素晴らしい心がけだと思います。渡米することが素晴らしいのではなく、14歳にして、それだけ人生を主体的の捉えていることに感服します。大人になっていけばわかると思いますが、大体の人間は、ほとんど何も主体的に考えることなく、のうのうと毎日を生きています。ぼくも、君の年には、人生を主体的に捉えるという意識すらありませんでした。アメリカに来たのも、親の仕事の都合でした。振り返ってみれば、ぼくにアメリカで教育を受けさせたいという意図があったのかもしれませんが、少なくとも、ぼく自身が能動的に決めたことではありません。渡米した最初の半年は、日本に帰ることばかりを考えていました。当時の母親とぼくの会話は、こんな感じでした。

「ガッコウ楽しかったー?」

「...」

「慣れた?」

「楽しいわけないだろ。何もわかんないんだから」

結果から言えば、ぼくは14歳で渡米してよかったと思っています。でもそれは、英語でものを考えられるようになったからだとか、米国で恵まれた教育を受け、これまた恵まれた仕事に就けているからでもありません。渡米後の生活がくれた最大のプレゼントは、友達の輪が大きく広がり、物事をいろいろな角度から見れるようになったということです。

アメリカには、本当に多種多様な人がいます。大きい人に小さい人。賢い人にバカな人。イスラム教徒にキリスト教徒。白人、黒人、アジア人、インド人、そしてそれらを複雑に混ぜた混血の人たち。ぼくはアメリカを崇拝するわけではありませんが、この国ほど多様性の触れ幅が大きい国も、珍しいです。

その多様な国で、13年間生きてきた過程で、ぼくはいろいろな人と友達になりました。一生遊んで暮らせる大金持ちの人や、奨学金ですべてまかなってきた人。同性愛者にフェミニスト、ダチョウ農園の息子。肌の色だって、真っ黒から真っ白までいます。英語が流暢になった一番のメリット、それはアメリカを故郷と呼ぶ、様々なバックグラウンドの人たちと友達になり、彼らを通して世界が広がったことです。そして、たくさんの人たちの話を聞き、意見を交わすことで、ぼくは何度も自分の了見の狭さと、偏見の深さを気づかされてきました。

10代半ばの多感な時期に渡米できる君はラッキーです。大人になり、偏見というファウンデーションがベッタリ塗られた肌では感じとれない、アメリカの文化の深いところに触れることができるからです。どの文化も一緒ですが、ちょっとやそっと腰掛けで住んだり、言葉がある程度流暢にしゃべれるようになったくらいで、本質的に理解できるものではありません。感受性の豊かな時期に、どっぷりとその文化に浸かることで、はじめて見えるものがあるのです。

英語を覚えることも、プログラミングを学ぶことも、日本でいくらでもできます。英語が学びたければ毎日何時間も費やせばいい。プログラミングだってインターネットでいくらでも学べます。日本にも優秀な技術者はたくさんいます。君がある程度自分自身で努力をすれば、彼らは、喜んで手ほどきをしてくれると思います。それだけの努力をせず、プログラミングを教えてくれる家庭教師を募集するというのは、斬新ではありますが、失笑を買うだけだということを、理解しておくといいでしょう。

ぼくは君が渡米をすることに賛成です。是非、アメリカを自分の目で見てください。でも、渡米することのメリットは、英語を覚えることでも、シリコンバレーに近づくことでもなく、「他の文化に頭までつかり、多角的な視点を養うこと」だということを、忘れないでください。

幸運を祈っています。

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