2013-02-19
スケベのカフカ
カフカは大の女好きだったらしい。以下、「大切なことは全てWikipediaが教えてくれた」でおなじみのWikipediaより。
カフカにはフェリーツェ、ミレナ、ユーリエ、ドーラの4人の恋人の他にも様々な女性体験があったことが、残された日記、手紙などから分かっている。カフカは191 7年にミレナ・イェセンスカに宛てた手紙の中で自身の性的初体験について綴っており、それによればカフカが20歳のとき、大学の中間試験のためにローマ法を勉強してい た頃に、向かいの洋服店の店員をしていた女性と関係を持ち2度ほど逢瀬を重ねたという[65]。大学最後の年にはシレジアのツックマンテルにあるサナトリウムで、名前 の伝わっていない人妻の女性と恋をし、翌年の夏にも同じ場所で再会した。この女性は初期の作品『田舎の婚礼準備』に登場する女性のモデルになったと考えられている[6 6]。就職の前後にはモラヴィアのサナトリウムでヘートヴィヒ・ヴァイラーという女性と恋をし、就職後の新生活の様子を彼女への手紙のなかで綴っている。この女性につ いては詳しいことは分かっていない[67]。
カフカは恋人ができると短期間に多数の手紙を相手に送った。時には日に二度送ることもあり、相手の返事が滞ると催促の手紙を書き、返事を書かない理由を聞いた[6 8]。2度婚約したフェリーツェ・バウアーへは、1912年から1917年までの間に500通を越える手紙を送っている。フェリーツェはカフカと別れて別の男性と結婚 してからもこれらの手紙を保存し、ナチスを逃れてアメリカへ渡った際にも処分しなかった。ミレナ・イェンスカは強制収容所で命を落としたが、1939年ナチスのプラハ 侵攻直前にヴィリー・ハースにカフカの手紙を託し、後世に残された。これらの手紙はカフカの死後『フェリーツェへの手紙』(1967年)、『ミレナへの手紙』(195 2年、増補版1983年)として公刊されており、前者は原著で700ページ、後者は400ページを越える大部の書籍である。カフカ自身は恋人との関係が終わると受け取 った手紙を処分しており、このため恋人からの手紙はほとんど残されていない[69]。
500通って、お前、軽くストーカーだろ。
ちなみに英語のWikipediaの方では、こう書かれている。
Kafka led an active sex life. According to Brod, Kafka was "tortured" by sexual desire
カフカの性生活は活発だった。Brod(カフカの友人)によれば、カフカは自身の性的衝動に苦しめられていた。
書いた小説は「変身」だけど、本人は変態だったわけだ。