2012-10-27
一杯のつけ麺
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リピと呼んでくれ。某会社で一般的なイケメンプログラマーをやっていた男だ。
そして今日はデートだ。
ひょっとしたら俺が勝手にデートだと思い込んでいるだけかもしれない。「男友達との軽い夕食」かもしれない。あるいは「この男、その気にさせておけば、程よく勘違いして前のめりになり後々役に立つかもしれないから、期待だけでも目一杯膨らませてやる」食事なのかもしれない。まあネーミングなんてなんでもいい。文章にする上では、「デート」と書いてしまえば3文字ですむ。
そう、だから今日はデートだ。相手の名前はT島D子さんとでもしておこう。T島はともかくD子というのはなかなか伏せ字としてはセンスがないが、まあいいだろう。T島D子だ。以下Tさんと呼ぶことにする。
Tさんとのデートということで、いろいろとレストラン選びに腐心した。俺の好物はつけ麺なのだが、デートでつけ麺はないだろうと人生の先達からご教授をいただいたので、ひとまずつけ麺は外すことにした。つけ麺の次に好きなのは焼き肉なのだが、週刊SAPに「ニオイが強烈な焼き肉は、最初のデートには不向き」と書いてあったので、これもやめることにした。ちなみに週刊SAPの姉妹雑誌でHANAというのもあるが、こちらは女性向けだ。
考えあぐねた結果、ツイッターに「【緩募】雰囲気のいいデートスポット!」と書いたところ、いろいろと返信があった。
まずオススメされたのは、Sota Rock Cafeである。店長の颯太さんの名前から店名をとったイケイケの感じのレストランで、豊富な種類のビールが置いてある。夫婦で仲良く経営しており、店長の名前が颯太というだけあって、料理が爆速で出てくるそうだ。味もなかなか良いらしいが、この店の一番の売りは、店頭でチャイナドレス姿でドラを打ち鳴らし客を呼び込むウェイトレスさんだ。商売も繁盛しており、最近南青山の地下から六本木に店を移している。
うーん。なんか雰囲気違うな。そもそもRock Cafeなのにチャイナドレスにドラはないだろう。
次の候補は、NDAラウンジだ。サンフランシスコに、Netscapeで有名なjwzがオーナーを務めるDNAラウンジというクラブがあるが、そちらとは無関係らしい。渋谷に新しくできた複合商業施設ヤミエの中にあるお洒落なレストランで、オーナーシェフ北場さんとスーシェフ守高さんの作る料理は、美味し過ぎて中毒になると評判だ。ただ、レシピに関しては完全な秘匿主義を貫いていて、NDAはNon-Disclosure Agreementつまり秘密保持契約の略じゃないかと言われるほどだ。どんな料理評論家が訪ねていっても知らん顔で、レストラン内での写真撮影は禁止だそうだ。
うーん。写真撮影禁止か。料理の写真を撮ってPathとFacebookにアップしたい俺としては厳しいな。パス。
最後の候補がビストロ・オールドブリッジだ。フランス料理界の至宝サドユキ氏がシェフをつとめる、隠れ家的名店だ。こじんまりとした店だが、味は確かで、全国津々浦々から予約が入るらしい。ただこのレストラン、ひとつ難点があって、お店が八王子は南大沢にあるのだ。なんでもサドユキシェフは都会の喧噪が苦手らしい。しかし南大沢ってなんだよ。辺鄙すぎるだろ。自転車で行けないじゃないか。
...が、結局ディナーはオールドブリッジにすることにした。というのもTさんにオールドブリッジの話をしたところ、是非行きたいと言ったからだ。アクセス悪いのにとも思ったが、どのレストランに行ってもつけ麺にはありつけないわけだし、ここは相手の希望を尊重することにした。
オールドブリッジは、南大沢駅前にある三井アウトレットパーク内の一角にある。もう一度レストランの場所を確認するために手元のアンドロイド携帯を覗きこんだ。その時、なんでTさんがオールドブリッジを選んだかがわかった。
このアウトレットの裏は、首都大東京南大沢キャンパスなのだ。よくよく考えたらTさんは首都大東京の生徒で、要はオールドブリッジは、彼女にとっては超アクセスがよかったわけだ。しかしなんというテキトウな意思決定。
Tさんはレストランの前で待っていた。黒いサマーコートの下にアンバーのワンピースを着ており、白いスティレットがすらっとした足を一層キレイに見せている。俺みたいなイケメンから見ればそこまで美人だとは言えないが、彼女は相当お金がかかっている感じだ。
「ごめん!待った?」
携帯をポケットにしまいながら、俺は声をかけた。
「ううん、大丈夫。JITよ、JIT。」
「じっと待ってたの?」
「え...?」
「だって今『じっと』って...」
「やーねージャスト・イン・タイムよ〜」
なんだか先が思いやられる感じがしたが、俺たちは店に入ることにした。
オールドブリッジの店構えは地味なもので、看板すらなく、樫の一枚板のドアに小さく"Bistro Oldbridge"と彫り込んであるだけだ。店内に入ると、奥から中背の男が出てきた。黒いワイシャツに緋色のネクタイをしており、胸元には「もりす」とひらがなで書いてある。
「ご予約で?」
もりすがぶっきらぼうに聞いてきた。
「はい。リピで午後7時に2名でお願いしてます。」
すると、もりすは急に笑いだした。
「リピ!!リピってお前か〜いやあ変な名前のヤツもいるなあ、どんなやつが来るんだろうって思ってたらお前か〜」
つくづく失礼な店員だ。大体お前も名前「もりす」だろ。
「ええ、まあ」
俺はテキトウに流したつもりだったが、もりすは止まらない。
「リピかあ。ぜってぇ本名じゃねえだろ。いやあワロス。」
ワロスじゃねえ。お前俺は仮にも客だぞと言おうとした瞬間、後ろからも笑い声がした。なんとTさんも笑っているではないか。
「あははははーリピ&もりす!2人あわせてモリピス〜ははははー」
もう何がなんだかわからなくなってきたので、強引に切り出した。
「なんでもいいんで席についていいですかね。」
「おう、座席はラウンドロビンな!」
「は?」
「ラウンドロビンだよ。だからお前は奥の席で、そちらの連れの方は、その横の席。」
「いや、意味わかんないんすけど...」
「だって席のロードバランスをしなきゃ駄目だろ。」
なんだこのレストランは。こっちはデートで来てんだぞ。連れの子と同じ席に座らせろや。
「いや悪いですけど同じ席にしてください。」
「そうか、仕方ないな。例外だ。例外投げてやるよ。メニュー持ってくるから待ちな。」
言っていることがムチャクチャだが、ひとまず奥の席に無事座ることになった。しばらくすると、もりすがメニューを持ってきた。
「これメニューな。まあなんか質問があったら聞いてくれ。」
いかにもフランス料理的な料理名の横に数字が書いてある。具体的にはこんな感じだ。
松坂牛のタルタルステーキ芽キャベツ添え 28
有機野菜のラタトゥイユ 31
...
しかしこの右の数字はなんだ。最初に頭をよぎったのは、外貨での値段表示だ。米ドルだと2500円前後ということになるから、まあお値段的には妥当、いや安いくらいだ。しかしなんで米ドル表示?南大沢って米国領だっけ。もしこの数字が値段じゃないとすると、値段はどこに書いてあるんだ。まったくよくわからんな。しかしもりすに質問したらまたしつこく絡まれそうだ。
「この数字なんですか〜?」
Tさんが俺の気持ちを汲んでくれたのか、モリスに聞いてくれた。
「ああ、それはねー料理が出来るまでの分数。うちのシェフな、料理の味もだけど、スピードを何よりも命にしていてだな。常にどうやったらより高速に料理できるか研究してるんだ。プロセスの最適化が進んで、調理時間が短縮されるとメニューもアップデートするんだ。ラタトゥイユの31分って相当速いぜ。 」
「でも、それはお客さんに見せなくてもいいのでは」
俺はマジレスしてみた。
「まああれだな。サドユキさんのプチ自慢だ。『おれはこんなに速く調理できる』的な。それに急いでいる時にどの料理だったら間に合うか一目瞭然だろ。」
「そもそも急いでる時にフランス料理食いに来ないだろ。」
「わからないだろ。店に入った瞬間に急用が入る客もいるかもしれないだろ。そのための心がけだ。」
「はあ...まあそれはいいですが、肝心の値段は...」
「値段はな、フリーミアムだ。」
「てかお前言っていることムチャクチャだろ。」
「そうとも言うな。」
「だから値段はどこに書いてあんだよ。」
「心配するな。メタデータはブイヤベースに保存してある。」
「データベースだろ。」
「そうとも言うな。」
「だから値段は?ね・だ・ん!」
「一律5000円だ。」
「さっきのフリーミアムはどうした。」
「最初の一口はタダだ。」
「もし俺が一口食って帰るって言ったらどうすんだよ。」
「全力で止める。」
「だったらタダじゃないだろ。最初の一口。」
「すまん間違えた。タダなのは最後の一口だ。」
もう何がなんだかわからないが、どうやら料理は一律5000円らしい。ということで僕は仔牛肉の赤ワイン煮込みにすることにした。
「ねえTさんは何にする?」
メニューから顔を挙げると、彼女はiPhoneをいじっていた。
「私はデータベースにする♪」
「え、データベース?」
「データベースにはマイエ・スキュール風味とポス・グレース風味がありますね。」と口を挟むもりす。
「もりす、あんた黙ってろ。」
「え〜どっちが美味しいですかあ?」
「まあ人気があるのはマイエ・スキュールの方ですかねえ。ポス・グレースの方が味はしっかりしてますが。」
「だからあんたも悪ノリするな。」
「いひひ。」
「いひひじゃねえよ。ブイヤベースだろ、あるのは。」
「データベースもあるけどな。」
「データベースは食えないだろ。」
「そうとも言うな。」
「じゃあ私はポス・グレース風味♪」
「かしこまりました!」と威勢のよいもりす。
「なにが『かしこまりました』だよ。お前いい加減にしろよ。」
「かしこもりす!あははは〜」と、酒が一滴も入ってないのに悪のりするTさん。
「じゃあ仔牛肉の赤ワイン煮込みとブイヤベースで。」
「かしこもりすた。」
スキップしながらもりすは厨房に消えていった。そしてようやっとTさんと2人きりである。今ようやっと気がついたが、オールドブリッジにいる客は、今のところ我々2人だけだ。少し緊張する。
「なんか変なレストランに連れてきちゃったね。」
「別に謝らなくていいよ〜もりす面白いし〜」
Tさんの興味がモリスの方に行っている気がして、俺は少しむっとした。
「そんなに面白いかなあもりす。ちょっと接客業には向いてないんじゃないか。」
「そんなことないよ〜多分リピ君の方が向いてないよ。」
「どうしてさ。」
「だってもりすのふざけた態度にむきになってたでしょ?相手のペースに乗せられてる。」
「そんなことない。」
「そうやってまたムキになるところがさらに接客業向いてないw」
なんかこの話を続けても嫌われそうだったので、話題を変えることにした。
「Tさんは週末何やってるの。」
「コード書いてる。」
「コードってプログラミングの?」
「うん。」
「1人で書くの。」
「1人でも書くし、友達とペアプロもするよ!」
ま、マジか。つ、ついにプログラミング好きの女の子と巡り会えた!し、しかもTさん、左手を耳の後ろに回し、髪をいじっている。女の子が髪をいじる時は、相手に気がある時だって週刊SAPにも、メンズ雑誌のオラコナイにも書いてあった。これはガチだ。
「え、じゃあ今度一緒に週末プログラム書こうよ!」
俺は天にも昇る気持ちでTさんに聞いた。
「...なーんてねw」
...へ?
「うそぴょーん!」
知らない人も多いかもしれないが、遥か昔、それこそまだテレビで「THE夜もヒッパレ」をやっていた頃に、キャラ作りをする前の17歳の小倉優子が、いわゆる取り巻きの女の子の1人としてヒッパレに出演したことがあり、そこで小倉優子は、「私、三宅さんとあんなことやこんなことしちゃいました」と三宅裕司に振っておいて、三宅がそれに乗ったところで、三白眼で、顔をムンクの叫びのようにしながら「うそぴょーん!」と言ったことがある。
今、目の前のTさんは、そんな感じだった。
そして俺の中で何かがぶち切れた。
「お前もいい加減にしろよ!」
俺は声を荒げて立ち上がった。急に立ち上がった衝動で、座っていた椅子が後方に倒れ、ガシャンと音を立てた。
「あ、ご、ごめん♪」
「ごめん?何がごめん?」
「いや、なんか、からかってごめん...」
「もりすといい、君といい、からかいすぎだ。度を超えてる!」
「...」
「もう言いよ。帰ろう。ご飯なんて気分じゃない。」
「でも折角南大沢まで来たんだし。」
「『せっかく』ですか。ほう。『せっかく』ね。せっかく来たのは僕の方だ。君はどうせ大学の帰りだろ。」
「てへ!」
「てへっじゃない!」
俺はテーブルを叩いた。すると、Tさんの表情に影が差した。俺は悪寒に襲われた。テレビ番組で芸人が大御所に対して悪ノリしすぎて、しまいに台本から外れて大御所がぶち切れる—そんなシーンを彷彿させる空気感だった。
「...お前調子に乗るなよ。」
Tさんの声が1オクターブ下がった。俺はギョッとして息を呑んだ。
「大体さーお前調子乗りすぎなんだよ。なんだよ、自分で自分のことイケメンってさーみんなお前のこと裏でなんて呼んでるか知ってるか?『池袋でつけ麺ばっかり食っているブスメン、略してイケメンw』だぞ。それにお前ツイッターしすぎなんだよ。なんだよ20万ツイートってよ。お前島根県松江市の人口知ってるか?20万ちょいだよ。お前のツイート数とほぼ一緒だよ。松江県庁所在地なのに人少ねーって話じゃねえんだよ。お前がツイートしすぎなんだよ。松江でガキが生まれるスピードよりもお前がツイートするスピードの方がはええんだよ。」
なんだか先ほどまでの乙女チックな口調から、急にべらんべえ口調になっており、ショックで俺は声を失っていた。
「あとなんだよD言語ってよ。言語なんて使われてなんぼなんだよ。PHP見てみろよ。言語ですらねえよ。でも世界中で使われているだろ。Dが明日なくなっても世界は回るよ。PHPが明日なくなってみろ。バグったソフトウェアが減るって話じゃねえんだよ。Wordpressのブログは吹っ飛ぶし、Facebookはなくなるし、Yahoo!も楽天も消えるな。え、人類の効率性が上がる?そういう話じゃねえんだよ。インパクトがあるって話なんだよ。DがCよりいいのはグラビアの世界だけなんだよ。お前それ覚えとけよ。」
そう言い捨てると、Tさんはグラスの水をおれの顔にシャッと引っかけ、席を立っていった。白いヒールのコツコツという足音と、俺の顔から滴り落ちる水滴がリノリウムの床を打つ音が、虚しくレストランに響いた。
俺は呆然としていた。目の前で何が起こったのかわからなかった。なんか色々急にディスられたということと、このデートは完全に失敗だったという事実だけが、ぼんやりと把握できた。
茫然自失の俺のところに、もりすがやってきた。料理はキャンセルしてくださいと言おうとしたが、モリスの手にあったのは、一杯のつけ麺だった。
「はい、つけ麺お待ち!」
「え...」
「うちの隠しメニューよ。」
「いやそうじゃなくて、さっきオーダーしたブイヤベースと仔牛肉は?」
「だってお前そんなの食う状況じゃないだろ。」
「いやだからキャンセルしようと思って。」
「大丈夫だ。厨房から会話を聞いていて、こうなるんじゃないかと思って、途中で料理はキャンセルした。」
「キャンセルしたって」
「シェフサドユキの秘技、ロールキャベツだ。」
「ロールバックだろ。」
「そうとも言うな。」
「で、つけ麺はどこから来たんだ。」
「うちは昼間はつけ麺屋だ。これは店のおごりだ。食えよ。」
本当だか怪しかったが、それでもつけ麺が出てきたことは嬉しかった。
俺はつけ麺をすすりながら聞いた。
「てかなんで俺がつけ麺が好きだってわかったんだ。」
「超能力だ。」
「エスパーモリスか。」
「そうだ。」
「嘘だろ。」
「ツイッターで調べた。」
「マジかよ。」
「『南大沢遠いでござる』がお前の最新のツイートだ。」
松江の人口くらいツイートしてきた甲斐があったと俺は心の中で自嘲した。
東京の外れで、急に人格の豹変した女に罵詈雑言を浴びさせられた後に、フランス料理店の隠しメニューのつけ麺をすすっているこの状況はシュールすぎた。俺は箸を置き、コップの水を飲み干してから、意味もなく高々と笑った。