2012-10-02
辛い思いは誰だって
友人が、こんなビデオを見せてくれた。コメディアンのAnthony Griffithさんの独白だ。
2歳の娘を癌で失っても、人は生きていかなきゃいけない。コメディアンである以上、ステージに立ち、客を笑わせなくてはいけない。「弱音を吐くな!子どもを癌で失っているのは自分だけではないんだ!」己を鼓舞するGriffithさんの姿が美しくも悲しい。
このビデオを見終え、7年前に読んだ、リリーフランキーの「東京タワー」の一節を思い出した。長くなるが、ここに引用する。
一日の平均乗降者数が百七十五万人といわれる東京駅に、百七十五万分の一、その中のひとりとしてボクは到着する。
銀座の歩行者天国、浅草仲見世通り、新宿アルタ前、池袋サンシャイン通り、原宿、表参道、六本木通り、渋谷スクランブル交差点。
ネオンに集まる蚋のように、今日も東京には、どこからか人が集まり溢れかえっている。
それぞれが、その辺りの水溜まりで湧いた蚋のように、ひとりで生まれ、ひとりで生きているような顔をしている。
しかし、当然のことながら、そのひとりひとりには家族がいて、大切にすべきものがあって、心の中に広大な宇宙を持ち、そして、母親がいる。
この先いつか、或いはすでに、このすべての人たちがボクと同じ悲しみを経験する。
ボクは幾重にも交差する横断歩道の上で、流れゆくほどに行き交う人々を眺めながら、今までだったら単に街の風景でしかなかったそのひとりずつが、とても大きく見えた。
みんな、すごいな……。頑張ってるんだなと。人が母親から生まれる限り、この悲しみから逃れることはできない。人の命に終わりがある限り、この恐怖と向かい合わずにはおれないのだから。
辛い思いは誰だって経験するのだ。身がちぎれそうなほど悲しいことがあっても眈眈と生きていく。そういう強さを持ちたいものである。