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禁Facebook

ぼくは3週間前を最後にFacebookを使っていない。/etc/hostsをいじってfacebook.comのドメインをlocalhostに回したので、facebook.comに行こうとすると、自分のマシンに逆戻りするようになっている。もちろん、/etc/hostsを再びいじればfacebook.comに行けるようになるが、/etc/hostsを修正してまでfacebookを使おうとは思わないようだ。iPhoneにfacebookのMessengerアプリはダウンロードしてあるので、メッセージが送ってくればわかるようにしてある。

使わなくなった理由を大きくわけると以下の三つだ。

1. 猜疑心

以前にも書いたように、Facebookは、これでもかというほどユーザーデータを欲しがっている。最近でも、Facebookからログアウトした状態であっても、Facebookのソーシャルプラグインが置いてあるページに行った場合、ユーザーに関するデータがFacebookに転送されていることが、Nik Cubrilovic氏によって指摘され、話題になった。その後、Facebookは、ユーザーIDを保管してあるa_userクッキーを除去したが、これから先どうなるかはわからない。ユーザーのデータは悪用しないとFacebookの広報は言うが、未来は不透明だ。最近TechCrunchを追い出されたMike Arringtonも指摘しているように、Facebookはユーザーの動向は探らないと言いながら、「他のサイトにいるユーザーの動向をソーシャルプラグインを使って追跡する」特許を申請しているのだ。

別にFacebookを批判するつもりはない。これだけ沢山の人を繋ぐサービスは他に例がないし、そのサービスの対価として、ユーザーの動向を探ることは構わない。また、会社である以上、広報で述べることと実際の会社の行動の間の乖離も、そこまで驚くことではない。でも、個人的にそんなサービスは使う気にならない。また、Facebookがユーザー情報を悪用する意思がなくても、ソフトウェアのバグ等で、意図せずしてデータが漏洩することはいくらでも考えられる。そんなリスクを負ってまで必要なサービスでもない。

2. 時間の無駄

Facebookは本当によくできていると思う。ぼくは2004年から使っているが、年を重ねるごとに、ユーザーの時間を無駄にする機能が追加されてきた。2004年の時点ではプロフィールしかなかったから、すぐに飽きてしまった。今ではステータス・写真・チャットなどの基本サービスの上に(やったことはないけれど)ゲームまである。一日中Facebookにいても飽きることはないだろう。

でもこれ、裏を返せば多大なる時間の無駄だ。ぼくがこのブログを書き続けられる一つの要因はFacebookをやめたからだ。今までFacebookを見たりしてだらだらしていた時間を読書やブログの更新に当てることにした。これが大体1日あたり1〜2時間だ。それだけの時間を今までFacebook上で無駄にしていたと思うとゾッとする[1]

3. 情報の薄さ

Facebook上の情報というのは限りなく薄い。本当に薄い。ステータスなんかも、余程強調して書かれてない限り(例えば「うおおおお!できちゃった婚したぞー!」)飛ばしてしまう。そんな薄い情報で頭を満たしてどうするのかなと疑問に思うようになった。例えば、新しいOpen Graph Protocolでは、みんなが何を読んでいるかTickerに表示されるようになる。もし、ぼくのFacebook友達がみんなこのサービスを使ったら、多分、こんな感じになるんじゃあないだろうか。

Johnは罪と罰を読んだAnnaはThe Oblivionを読んでいるHassanは華麗なるギャッツビーだKenjiはエロ本でぬいているAbrashmaniamはInfiniteJestを...

もう何がなんだかわからない。どれが本当に面白い本なのかもわからない。ぼくがデジタル・ネイティブ[2]じゃないからかもしれないけれど、ぼくの脳みそは一定量の情報を超えると、全部フィルターするようになっている。何十人ものFB仲間から一斉に本を勧められても、反応のしようがない。

Facebookはおろかネットすら使ったことがなかった中1の1学期、クラスで一人一冊書評を書いて本をクラスメートに勧めるという宿題があった。自分が何の本を勧めたのか忘れてしまったが、ぼくは今でもF君が勧めてくれた本を覚えている。筒井康隆の「笑うな」[3]。なんでこんなことを覚えているかと言えば、普段寝てばかりで全くやる気のなかったF君が、こと筒井作品に関しては、面白いと堂々と主張し、書評も丁寧に書いたからだ。F君は寝てばかりだったが、機転の利く賢い人だったので、家の近所の本屋で「笑うな」を購入し読んでみたら、これが完全につぼにはまった。以来、ぼくは何十冊も筒井作品を読み、高校の卒業プロジェクトは、「筒井作品における『笑いの構造』」という半ばふざけたエッセーだった。

ぼくはこうして筒井康隆の印税収入に大きく貢献したのだが、これも元を辿れば、F君の書評を読んだからで、F君の書評に目を通したのも、F君の普段見られないやる気を、書評のプレゼン中に感じたからだ。もし500人弱いるFacebook友達の誰かが「筒井康隆面白いよ」と書いたところで、おそらくぼくは注意を払わない。人間そんなに沢山の情報を吸収できるものではない。実際友人がTwitterで「この本面白い」とかたまに書いているが基本的に無視だ。「TwitterとかFacebookの情報は薄い」と既に頭が決め込んでしまっているんだろう。膨大な量のバーチャルな経験より、ほんの少しのリアルな経験を重んずる僕はオールドタイプなのかもしれない。


万が一将来再びFacebookを使ってしまうことも考えて、今のところは「禁Facebook」ということにしておく。でもこのまま「脱Facebook」になっても不思議ではない気がする。


  1. 時間の無駄ということでいったら、次にやめるべきなのはオナニーなんだろうが、こっちはなかなか難しい。/etc/hostsにエロサイトをリストアップしてブロックしようにも、数が多すぎる。
  2. この単語はよく意味がわからないのだが、流行っているみたいなので使ってみた。使い方あってますかあ?
  3. これはアフィリエイトリンクなので、こっから買ってもらえるとありがたい。目標はこのブログのホスティング費用を捻出すること。

2011-10-10