2012-02-02

慶応幼稚舎の入試問題のホントの問題

ほとんどログインしないFacebook経由で、慶応幼稚舎の入試問題が手元にまわってきた。リンク先には図もあるが、かんたんに説明するとこうだ。

ABCDの4人が1列に並んでいる。AとBの間に壁があり、それぞれ壁を向いている。CとDは共にBの方向を向いている。AとCは黒の、BとDは白の帽子をかぶっている。壁でしきられているAとBCDはお互いが見えない。CはBが見え、DはBとCの両方が見える。

4人に、帽子は白が2つ黒が2つであることを伝える。そして、自分の帽子の色がわかったら、すぐにその色を叫ぶようにいう。すると、しばらくの沈黙の後、自分の帽子の色をあてた人がいる。それは誰で、ナゼか。

ネタばらし

まず答えから言うとCだ。Cはこう考えることができる。「ぼくは今Bの白い帽子が見えている。仮に自分の帽子も白かったとしよう。するとDからはBと自分の2つの白い帽子が見える。全部で白い帽子2つに黒い帽子2つだから、2つの白い帽子が見えているDは『自分の帽子は黒だ』というはずだ。でも今シーンとしているということは、Dは自分の帽子の色がわからない。ということは、ぼくの帽子は黒だ」

上を読んで、「へーそうなんだ」とか「そうそう、そうやって解いたんだよ」と思った大人の方々に一言。あんたたちはみんなアホウだ。そして解けなかった人も解けて悦に入っている人も、死ぬほどアタマがかたい。

先の解答の問題点

先の解答には色々と問題がある。まず仮定されているのは、「自分の帽子の色がわかった人が必ずしも発言する」ということだ。例えば、Cはこう考えることもできる。「シーンとしているということはDは自分の帽子の色がわからないんだろう。いや待てよ。ヤツはぼくに間違った答えを言わせるために黙っているのかもしれない。ひょっとしたら今ヤツは白い帽子が2つ見えているのに、あえて何も言わないのかもしれない。そうすることで、ぼくに『Dは白と黒の帽子が見えているために自分の帽子の色がわからない』と思わせようとしているんだとしたら。ひょっとしたら彼のゴールは勝つことではなくて、ぼくに恥をかかせることなのかもしれない」

現実社会ではこういうことはよくある。自分の成功だけに集中していればいいのに、あえて周りの足を引っ張る人。Dはそういう人間かもしれないのだ。また、Cも疑り深い人間である可能性もある。

もう一つ仮定されているのは、「自分の帽子の色が確信できた人しか発言しない」ということだ。AからDまで、全部で帽子は白2つ黒2つだと既に教えられている。ということは、壁しか見えないAとB、そして白と黒が一つずつ見えているDは、50%の確率で自分の帽子の色が当てられるし、Bの白い帽子が見えているCに至っては、「黒!」と叫べば、2/3の確率で自分の帽子の色が当てられる。50%の成功確率というのはそんなに低いものではないし、そもそも問題文のどこにも「確信できなきゃ発言してはいけない」とは書いていない。

実際に、大学時代のぼくの友人にこの問題を出したところ、「模範解答」を即答したうえで、冗談半分にこういった。「でもほんとにこんなことがあったら最初に発言するのはAかもね。当てずっぽでさ。1人だけ壁の左側で、寂しいしこんなゲームすぐ終わらせたるという感じでw」個人的には、彼の「答え」もまんざら間違っていないと思う。

そしてこの問題のホントの問題点

ようはこの問題、非常にくだらないのである。論理的思考力を試すパズルかもしれないが、仮定だらけのザルパズルだ。ぼくが何より悲しいのは、こんなくだらない問題に幼稚園児が時間を割き、さらにそれができるできないで、両親たちが一喜一憂しているという現実だ。そして、このザルパズルがネットを駆け巡り、いい年した大人が「10分かかってしまいました。W大は出たもののK幼稚舎には入れそうもありません。」などというこれまたくだらない発言をしていることだ。

あとやはり恐ろしいのは、こんなにも多くの人間が、与えられた問題の意図を鵜呑みにすることだ。仕事をしている人なら誰でもわかるだろうが、テーマがきっちり決まった仕事なんてのはない。何が仮定されていて、何が実証されているのか。何がゴールで、どうやった解決法が考えられるのか。それを考えてこそプロフェッショナルじゃなかろうか。与えられたタスクを鵜呑みしている人間に、有意義なアウトプットをすることは難しい。

このパズルにウンウン唸り、解けた直後のささやかな知的開放感に浸った大人たちに言う。あんたたちが取り組むべきなのは、こんなザルパズルじゃなくて、用意された解法の先を考えない問題意識の低さですから。残念!

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