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Chikirinとジョブズの卒業スピーチに共通するもの

多分この話はいろいろと批判されるに違いない。まあ逆に、先の一文を読み、あまのじゃくにダンマリを決め込む読者がほとんどということも考えられる。いずれにせよ、多分ぼくに賛同する人は少ないと思う。

結論から言えば、Chikirinの日記ジョブズのスタンフォード大学での卒業スピーチには、あんまりよろしくない共通点がある。それは、両方とも「煽りっぱなし」ということだ。

以前にも書いたように、ぼくはChikirinさんのリバタリアン的な思想は嫌いではないし、なるほどと思わされる記事にあうことも少なくない。が、往々にして彼女のブログは問題提起が中心だ。「こういうデータがあって、分析して類推してみるとこういうところがオカしいよね」そこまではいいのだが、「で、どうすればいいの」と思ってしまうこともよくある。

もちろん、その後の「解決策」を提示していることもある。カギ括弧でくくったのは、中には混乱を招くだけでなんの得にもならない場合があるからだ。例えば、この記事では「見限る」ことを勧め、こう書いている。

東大の9月入学検討は「日本の18歳人口」を見限り、「アジアの優秀な学生を集めたい!」という意思表明に聞こえるし、既に多くの企業は日本市場を見限って、本格的にアジア市場での成長を求め始めています。

個人のレベルでも日本や日本企業を見限って、最初から海外や外資系で働こうと考える人が増えるだろうし、高校生ですら日本の大学を見限り、海外の大学に進もうと考える人がでてきています。

でもこれってなんの解決策にもなっていないと思ってしまうのは、筆者だけだろうか。大体今この不況の日本で、海外の大学へ渡航するお金がある人がそんなにいるだろうか。確かに学部でも実力ベースの奨学金が出る日本国外の大学はあるし、大学院ならいろいろと金の調達の仕方はある。でも、どれもこれも超優秀な選ばれしもののためのオプションだ。仮にお金がネックでなかったとして、海外に留学できるだけの語学力をもった日本人はそんなにいない。少数のエリートが日本を見限って海外に出たところで、日本そのものは何も変わらない。

断っておくと、ぼくもChikirinさんと同じで、もっとたくさんの日本人が留学したり、移住したりするということは、よいことだと思っている。世界中に日本人がいれば、仮に日本が滅びたとしても、日本人というアイデンティティを存続するためのリスク分散にもなる。ただ、日本を「見限る」人が増えることは、日本という国にとっては何のメリットにもならない。日本の中で、既存の体制を変えようとする人がいてこその、海外移住組なのだ。

定期的にChikirinさんの日記を読む人たちは、大きくわけて、「面白いなあ。また煽っているけどw」という醒めたグループと「うおー我らがChikirinすげー」という熱狂的なファンの2つだと思う。ぼくが心配なのは、後者のグループの人たちだ。彼女の意見はぶっ飛んでいて面白いこともあるが、あんまり鵜呑みにするべきではないというのが、僕からのおせっかいな助言だ。

鵜呑みにするべきではない発言の代表格といえるのが、スティーブジョブズの卒業スピーチではなかろうか。彼のスピーチをまとめると、こうなる。

  1. 人生の点と点は、振り返ってしか線で繋げることしかできない。だから、自分の直感を信じて前へ進め。
  2. アップルを追い出された時は絶望したが、それでもぼくはテックが好きだった。今となっては、アップル追放は、良き転機だったといえる。
  3. 人間いずれ死ぬのだから、好きなことを思い切ってやるべきだ。

ぼくはスティーブ・ジョブズを尊敬しているし、世界中を感動させたスピーチを悪く言うつもりはない。事実、ぼくもこのスピーチを何度も聞き、勇気づけられてきた。でも、もう一度彼のスピーチをよく聞いてほしい。感動させられたり、ハッと思わされることはあるだろうが、どうやったら「自分の直感を信じて進める」ようになるかも「絶望の淵から再起できる」かも「思い切ってやれる好きなこと」を見つけられるかも、彼のスピーチからは欠如している。もうこの時点で、「お前は何もわかっちゃいない」という声が聞こえてくるが、そんなに誰もがジョブズが唱えるような生き方ができるのだろうか。否、するべきなのだろうか。

アップルが成功するまでのジョブズは、いわゆる問題児だった。頭こそよかったかもしれないが、優等生からはかけ離れた存在だ。彼の10代を知る女性の話を聞いたことがあるが、ロンゲで臭かったというイメージが強烈で、まさかあんな偉業を成し遂げるとは夢にも思わなかったそうだ。ジョブズ候補とジョブズの間には大きな差がある。ジョブズのスピーチは、ジョブズ候補を量産するかもしれないが、そこからどういっちょまえのジョブズを輩出するかに関しては、ノータッチなのである。

これはChikirinさんにもスティーブ・ジョブズにも共通して言えることだが、彼らは特殊な部類に入る人たちだ。アメリカの大学院を出て、東京の著名な外資系企業でキャリアを終えたChikirinさんも、シリコンバレーに生まれ、類いまれなるプロダクトセンスを持ち、ウォズニアックという素晴らしいエンジニアやジョニー・アイブという稀代のデザイナーと巡り会ったジョブズも、社会全体でみたら非常にまれな存在だ。確かに彼らの主張することは間違っていないかもしれない。もっと日本は変わるべきだろうし、もっと多くの若者がリスクをいとわずに好きなことを探求するべきかもしれない。でも、本当に大事なテーマは、「どうやったらそういうことが可能になるのか」「仮にそうなったとして、それが果たしてよいことなのだろうか」といった、問題提起の先にあることではないだろうか。そこまで考えを巡らせて、はじめて提起された問題は意味をなすのではないか。

もちろん、Chikirinさんやジョブズではない他の方たちが、問題提起の先にある解決法を模索しているのかもしれない。しかし、彼らの言葉や主張を神々しく引用する人たちの多くは、煽られっぱなしで、そこから先どうしたらよいかを、自分のアタマで考えていないような気がする。

2012-01-30