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アンチ名刺

ひょんなことから一度に沢山の日本人に会う機会があった。ぼくは14歳で渡米してしまったので、何十人もの日本人の大人と一堂に会するというのは初体験だった。出されたお弁当はおいしかったし、それなりに楽しいお集まりだったのだが、ひとつ気にかかったというか異様に映ったことがある。

名刺の交換。

「はじめまして」を言うか言わないかというところでパパッと名刺を取り出し、ご丁寧に両手を添えて小さな紙切れを差し出すさまは滑稽だ。もちろんアメリカにもネームカードなるものはある。ビジネスマン同士がミーティングの後にネームカードの交換をするというのはしょっちゅうだし、人事の人たちが就職活動中の子たちにネームカードを渡したりする。でもそれはあくまでも一通り会話をした後に、後日連絡をとるための手段であって、会ってすぐさま執り行う儀式ではない。そう、日本の名刺交換は儀式なのだ。「これからお話をしますよ」という儀式。

確かに最初に名刺を交換すれば会話のとっかかりは掴みやすい。「ああ◯◯で働いているんですか」「弁護士さんなんですね」「東大!へえすごい!」などなど。でも、この儀式には弊害もある。

まずなんといっても名刺依存症になってしまう気がする。儀式の素晴らしいところは、その行為自体に対して暗黙の了解を得られることだ。「ちょっと名刺だけ交換させてもらっていいですか」というのは、日本のパーティーなどで耳にする、ごくごく自然な声のかけかただ。名刺を用意して、決められたフレーズを言えばいいだけだから、会話力の乏しい人でもすぐできてしまう。「あの人と話してみたいな。どうやって会話のとっかかりを掴もうかな。」というもどかしさを吹っ飛ばしてしまう魔法の儀式だ。でも人生、人と触れ合う機会というのは様々でいつも名刺があるわけではない。それに名刺を交換することが必ずも自然だとも思わない。例えば旅行をしていて、バスの隣の席の人がとても魅力的でお話をしたいなと思った時に、「ちょっと名刺だけ交換させてもらっていいですか」ではコントになってしまう。会話というものは本来有機的なものだ。その場でいかに考えて話のとっかかりを掴むかってのが醍醐味なのに、それを組織的に避けてしまうのは残念に感じる。

もう一つの弊害は、相手の注意が一意的に名刺にいってしまうことだ。概して名刺に書いてあることはつまらない。どこの会社にいて、なんの職業で、どこで大学に行ったなんてのは本人に質問すればすぐわかることだ。でも、名刺に仰々しく書かれている以上、リアクションをとらないわけにもいかず、やれ会社の話だの、何年も前に卒業した大学の話だのに終始することになる。もちろん、会社や大学の話をすることがいけないわけではない。でも、みんながみんな所属している(あるいはしていた)組織の話から会話をはじめる必要はないんじゃないだろうか。

そこで提案したい。名刺を捨てよう。その代わりに「どうやったら自然に会話をスタートさせられるだろうか」を考えよう。アドリブでスムーズに会話できるというのは、どんな職業でも得をするスキルだ。アンチ名刺エクササイズは、その訓練の一環だと思う。

2011-09-17