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雑誌の未来(本とネットの間で)

ぼくは雑誌を読んで育った。新聞記者の息子なので新聞も読んだが、何より雑誌を読んで育った。週刊朝日・週刊文春・AERAはほぼ欠かさず毎週読んだし、エッチな知識は大体週刊ポストで仕入れた。その日のことをダーッと羅列してある新聞より、記者がじっくり時間をかけて取材し、それを原稿用紙20枚から30枚の長文にまとめた雑誌の方が、ストーリー性があり、書き手の想いを垣間みることができて好きだった。上記の雑誌は、中学1年くらいから読み始め、14歳で渡米した後も続けて読んでいた。日本の雑誌を読まなくなったのは、親元を離れ大学に行ってからだ。

大学を卒業したころには渡米後8年が経っており、英語も大分わかるようになったので、2008年ぐらいから徐々に英語でも雑誌を読むようになった。といってもぼくはケチなので、もっぱらオンラインでEconomistNew Yorkerを読んでいた。特にNew Yorkerは大好きな雑誌だ。New Yorkerの特徴は、一つ一つの記事が長く、事実関係の確認から文法にいたるまで綿密にチェックされているところだ。記事の採用スタンダードは非常に高く、多くのルポライターやジャーナリストにとっては登竜門とされている。

今週末、そのNew Yorkerを読んでいたら[1]とても面白い記事があったのでがあったので、友達に是非読むように勧めた。この友人、こちら生まれの知的なアメリカ人である。その彼の最初のリアクションがこうであった。

え、長っ

そして彼はこう続けた。

最近、特にパソコンの画面では長い文章って読まないよね。この前もWiredで興味深い記事があってオンラインで読もうとしたら結構長くてさ。でもページの最後まで読んだら1/5ってあって。そうかあと4ページもあるのかと思ったらそこでストップしちゃった。ほらパソコンって前屈みで読むものだし、注意力も散漫になるし、長い文章をじっくり読むには向いていないのかもしれない。

なるほど。そう考えると雑誌の未来というのは明るくないのかもしれない。

インターネットが一般的な情報源となった今、ネットで文章を読む時間の方が本や雑誌を読む時間より長いという人が増えていることと思う。面白いブログや記事をはてなブックマークで探し、TwitterやFacebookの「いいね!」を元に情報を集める。そう、ネットはあくまでも情報を集める場所だ。なので必然的にみんな要点だけを端的にまとめてあるものに焦点がいく。わかりやすいタイトルで、短い段落構成のもと、必要なことを平易な言葉で書けというのはネットコピーライティングのいろはだ。長文がメインで、一つのテーマを物語に膨らませる雑誌記事のあり方とは対極にあるのがネットの文章だ。

じゃあ雑誌記事より長い本はどうなんだということになる。確かに本離れも進んでいる。アメリカでは4人に1人は1冊も本を読まないとのことだ。でもぼくは本の方が雑誌より安泰だと感じている。なぜなら、情報収集にネット上を駆け巡る人たちも、じっくり腰を据えて物事を理解するには読書が必要だと理解しているからだ。いわばブログやニュースサイトは、広く浅く情報を集める手段であり、その中で深く知りたいことがあれば本を読むというのが、これからのワークフローだ。

すると、ブログ記事やニュースサイトのような即時性もなく、本ほどの密度も包括性もない雑誌は中途半端ということになる。アメリカでも、ここ数年の雑誌業界の凋落には目を見張るものがある。このままだと、「えーあの雑誌廃刊になったのー」ってことが毎年起きるようになるだろう。ちなみにNew Yorkerも超赤字運営だ。

ぼくは雑誌が大好きなので、ここでその重要性を説きたい。カンタンに言えば、「本のプロトタイプとしての雑誌」の重要性だ。

「書き下ろし」という表現があるが、あれは新聞や雑誌を介さずダイレクトに出版される本のことだ。ということは、書き下ろし以外の本は、新聞か雑誌に一度発表されているわけだ。勿論、雑誌に本の内容が一度に全て載るわけではない。まず1話なり1章なり載っけてみて、そ読者の反応を見る。反響があれば、2話、3話と続編が書かれるし、ノーリアクションだったら打ち切りになる。J.D. Salingerの有名な「ライ麦畑でつかまえて」のプロトタイプも、New Yorkerの創作セクションに1946年12月21日に登場している

雑誌は、文章のプロトタイププラットフォームなのだ。これは実に書き手にとっても出版社にとっても効率的なシステムだと思う。書き手は、本1冊まるごと仕上げる前に、プロトタイプで読者のリアクションを見ることができるし、出版社も、編集者をつけて一冊の本にする値があるかを早めに判断できる。双方にとって、雑誌はリスク分散の機能を果たしている。

そんなの雑誌じゃなくてもブログでやればいいじゃないかという人もいるだろう。確かに理論的にはこれは可能だ。しかし、ブログは、オンラインの文章である以上、長ければ長いほど読み手に読んでもらえない。なので、きちんと読んでもらえるプロトタイプを作ろうとすると、原稿用紙5枚程度のウルトラ短文になってしまう[2]。これでは、読み手も書き手も判断に困る。第一章を読めば、面白い本かどうかわかるだろうが、最初の3ページだけで判断するのは困難であろう。

そんなわけで、ぼくは雑誌は、ウェブを含む広義の出版エコシステムの中で、重要な位置を占めていると考えている。と、同時に、文章を読む媒体が、ブラウザー(ネット)やKindleといったEリーダー(電子書籍)に移行しているのも事実だ。数多くある雑誌たちにも、この潮流に乗り遅れることなく生き残ってほしいし、プロトタイプ実験室としての在り方を全面に押し出していけば、可能性はあるんじゃないだろうか。


  1. New Yorkerは最近は、ネットでタダで読める記事が20%ほどになってしまったので、購読料を払って読んでいる。ぼくが紙媒体で読んでいる唯一の雑誌だ。
  2. ぼくのブログの文章は概して長いが、それでも原稿用紙10枚を超えたことはない。

2011-10-24