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「もうすぐフィラデルフィアだぞ」

助手席でネコのように丸くなっているコニーを起こそうと、少し大きめの声で言った。共通の友人の結婚式に出席した次の日の朝8時。結婚式のあったデラウェアの浜辺は、大西洋が一望できるのどかなところで、二次会も、人生でこんなに楽しいことがあるのかってくらいはしゃいだのだが、なんせ最寄りの空港が200キロ近く離れたフィラデルフィア国際空港だ。ぼくは朝10時のフライトで西海岸に帰る予定だったので、5時半起き。二時間近いドライブを経てようやっとフィラデルフィアの郊外まで来たわけだ。

コニーは大学時代の後輩で、ニューヨークのヘッジファンドで働いている才媛だ。フィラデルフィアからはニューヨークにアムトラックという列車が出ているので、ぼくの車に便乗してきた。

「朝早いけど大丈夫か」「ヘーキヘーキ」

そりゃあ平気なはずだ。車に乗るなりすぐ寝るんだもんなあ。

いつでも高速を降りれるように車線を右に変更しながら、ナビを頼んだ。わかったと答える彼女の声は、まだ眠気を帯びている。

「この出口?」「ちょっと待って。」

彼女はごそごそとバッグの中を探り、黒い革のカバーのかかったiPadを取り出した。スクリーンの下にちょこんとある唯一のボタンを押すと、アイコンが整然と並んだ画面が映し出され、「出てくる前に一応場所は調べてあるの」と言い、グーグルマップを立ち上げる。

「準備いいね。そしたらこの出口でいいの?」「ちょっちょっと待って。」

(おいおい早くしてくれよ)

フィラデルフィアはあまり治安のよいところではないと聞いていたので、内心ちょっと焦りだした。アメリカというのは不思議な国で、高速の出口が一つ違っただけでスラムだったり高級住宅街だったりする。治安の悪いエリアで道に迷ったらどうしよう。一抹の不安が頭をよぎった。

ちらっと横を見ると、コニーは未だにせっせとグーグルマップをズームしたりスクロールしている。混乱してきたのか、少し不安そうに聞いてきた。

「今大体どこ?」

「ルート291ってのが出てきた」と答えると、再び「うーん...」

(おいおいまだわかんねえのかよ)

「この出口で降りるよ。このままだとニュージャージーの方に行っちまう」と言い放ち、ぼくはウィンカーを出した。

高速を降りたのはよかったが、運転すること10分、ダウンタウンの高層ビル群は一向に近くならない。周りの雰囲気も段々怪しくなってきて、夜だったら絶対来たくない危なげな場所に出てしまった。しょうがないので一度車を停めた。

「ちょっとiPad貸してみて」

矢印ボタンを押して、GPSで現在地を確認すると、逆方向に向かっていたことが判明。「停まってよかったー」「やっぱり間違ってた?」「うん、逆方向w」

ぼくはiPadを返し、Uターンした。早めに出発してきてよかったな。まだ8時30分。出発まで十分に時間がある。ほっと安堵のため息をついた。ぼくは生まれてこのかた飛行機をミスったことがない。こんなところで記録を絶やしてたまるか。

「何この青い点?」とコニーは不思議そうに呟いた。

へ?

「ひょっとしてこれ現在地?すごーい。iPadってGPSついてるんだー」

おいおい、ちょっと待て。お前はそんなことも知らずにiPadを使っていたのか。ぼくは1、2回しかiPadを触ったことないけど知っていたぞ。

彼女がGPSの存在を知らなかったことはかなりびっくりだったが、口には出したら相手を小馬鹿にしているようなので、黙っていた。彼女がGPSの存在を知っていたら道に迷うこともなかったのになあとも思ったが、それも言ったら失礼だしカッコ悪いので、口をつぐんだ。ちらっと横を見ると、まだGPSという新発見に感動しているようで小さくうなずいている[1]

そう、コニーはGPSという機能を知らずにiPadを買ったのだ。

beach_and_beauty

—iPadはブランドであってデバイスではない—多くのIT評論家たちがすでに打ち立てている定説だ。デバイスでない以上、CPUがどこ製だとか、OSのカーネルがどうだとか、はたまたGPSが搭載されているとかは二の次で、iPadであるというだけで、消費者は財布の紐をほどく。若者がAbercrombie&Fitchというだけで洋服を買ったり、ちょっと小金持ちになった人がベンツやBMWを買ったりするのと、さして変わらない心理だろう。アバクロの洋服の生地をことこまかに吟味したり、ベンツの燃費をチェックしたりする人もいるかもしれないが、間違いなく少数派だ。多数派が買っているのは製品ではなくブランドなのだ。

今日、友達が言っていたことで、なるほどと思ったことがある。「SamsungがiPadが出た直後に、少し不具合があっても構わずにGalaxyを市場に送り込んだのは、ビジネス的には賢かったと思う。だってiPadが出た時点で、市場は既にiPadか否かに二分化されてしまったわけだから。最初に『iPadでないもう半分』に名乗りをあげたやつは、iPadには勝てないかもしれないけど、他社に比べたら圧倒的に有利だよね。『iPadじゃないタブレットです』って宣伝できるわけだし。」

まったくおっしゃる通りで。iPadはもう「戦う相手」ではなくて、「運が良くて共存する相手」なのかもしれない。

スティーブ・ジョブズが辞めても、EU崩壊の危機が噂されても、どこ吹く風で上がり続けるアップル社の株価を見ながら、大事そうにiPadを小脇に抱え、てくてく駅に向かって歩いていくコニーの後ろ姿を思い出した。


  1. このエピソードを読むと、彼女がアホのように聞こえるが、それは多大な誤解で、とても賢い、目から鼻へ抜けるという諺がぴったりな人だ。機転という意味では、ぼくが今まであった数多くの賢い友達の中でも3本の指に入る人だと言っていい。

2011-09-26