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なかば人類学的にFacebookを振り返る

元Facebook社員であるKatherine (Kate) Losseが書いた回顧録"The Boy Kings"を読んだ[1]

Johns Hopkins大学の博士課程で英文学を学んでいたLosseは、Californiaの日差しに惹かれ、博士課程を去り、San Franciscoでのコピーライターの仕事を経て、2005年、顧客サポートとしてFacebookに入社する。その後、プラットフォームとローカリゼーションのプロマネを歴任し、最終的にはその文章力を買われ、Mark Zuckerbergのゴーストライターとなる。2010年、5年間勤めたFacebookを辞め、満を持して書き下ろしたのが、"The Boy Kings"だ。

"The Boy Kings"—「ガキ大将たち」とでも訳すのだろうか—というタイトルは、Facebook創立時の、青臭く幼稚で、時として(特に女性社員に対し)配慮の欠ける文化を揶揄する意図でつけられたように伺える。Losseの入社時のオフィスの壁を覆っていた刺激的なイラストのこと(最も過激なものは男子トイレに追いやられていたそうだ)、Zuckerbergの顔写真が入ったTシャツを彼の22歳の誕生日に着て出社するよう女性社員全員に通達があったこと(Losseは仮病を使い欠席している)、Engineering Directorが女性社員に対して3Pしようぜと声をかけていたこと、デザイナーの1人が、「上の階にいるやつは(つまりデザイナー/エンジニア以外は)みんなバカさ」と平気で発言をしていたことなど、正直Facebookにとって恥ずかしい、或いは抗議したくなるような話がいくつも散りばめられており、現に本に関する記事を読んでいると、みんな暴露本としての一面を取り上げている[2]

でも個人的に面白かったのは、そういったスキャンダルの一面ではなく[3]、随所にみられるLosseのなかば人類学的で、ちょっぴり自虐的な、鋭い観察眼だ。ここに、いくつかの抜粋を、拙訳を添えて紹介したい。

愛はスケールしない

In the end, no matter how much we tried, we couldn't use technology to produce love. Because love, unlike technology and its uses, requires commitment to one, instead of the broadcast and consumption of many bits of distant, digital content. Love doesn't scale.

At the time, however, the knowledge and the power and the wealth we were developing would be too intoxicating for us to care about something as unquantifiable as an intimate feeling. We were all, I think, lonely on some level, but the answer wasn't to find love and another life away from Facebook: The answer was to work harder, scale faster, and get bigger, and love would be waiting for us somewhere at the end. Everyone wanted to be king, first, myself included. The rest could follow.

技術とは違い、愛というものは、細切れのデジタルなカケラとして配布することも消費することもできない。愛はもっと一途なもので、どんなに頑張ったところで技術で愛は生み出せないのだ。そう、愛はスケールしない。

でも当時の私たちは、自分たちが生み出す知識と力と富に陶酔し、愛やキモチなんていう非定量的なものには目もくれてなかった。みんな、なんとなく寂しかったのだろう。でも寂しさを紛らわすべく我々がしたことは、愛を探すことでも、Facebookの外での生活を謳歌することでもなく、もっと働き、もっとスケールさせ、もっと大きくなることだった。そうすればいつか愛はついてくると信じていた。私も含め、みんな王様になりたかったのだ。

その後、Facebookの文化を半ば宗教的なカルトのように感じはじめたLosseは、社員たちの冷たい視線を背中にFacebookを去ることになる。一生働かないでいいだけの富を手にした彼女は、愛を手にしたんだろうか。Texasの田舎に住み、インターネットとはかけ離れた世界で暮らしながらも、このような回顧録を書いているという時点で、答えはノーなんじゃなかろうか。マスターカードのCMではないが、金で買えないものもあるのだ。

Facebookのエンジニア至上主義について

Facebook engineers considered the developers to be peers, so they were keen to make sure that we were communicating and on good terms with them, a concern they had never had with the users.

...genuflecting to external application developers, even if I didn't agree with what they were doing, felt a lot like the eternal reverence we nontechnical employees were all expected to exhibit for Mark and the engineering department.

Facebookのエンジニアたちは(Facebook Platformの)開発者たちに対して仲間意識を持っていた。だから、一般のユーザーたちとは違い、開発者たちとは風通しよくコミュニケーションを取り、友好的な関係を保つことを心がけていた。

(中略)外部のアプリ開発者に迎合すること—例え彼らに賛同していなくても—は、私のような非技術者の社員はMarkやエンジニアたちを憧憬の目をもって見るべきだという社内の不文律を思い出させた。

Facebookはエンジニアを高く評価する会社として有名だ。ただ、その裏返しとして、もちろん全員とは言わないが、エンジニア至上主義の存在、そしてユーザーに対する敬意の欠如というのも否めない。何億人ものユーザーを毎日相手にしていれば、ユーザーのことが段々鬱陶しくなってくるのもわからなくはない。それに、こんなに我々が個人情報をFacebookでシェアしてきた以上、明らかに優位にあるのはユーザーではなくてFacebook、それもその仕組みを設計し、実装し、運営しているエンジニアたちなのだ。ユーザーを見下す態度というのは、いちユーザーとしては快くないものかもしれないが、Facebookの脅威的なパワーを考えたら、むしろ自然なものなのかもしれない。

ぼくは別に、エンジニアが中心になってはダメだというつもりはまっさらない。例えば日本のソフトウェア産業を外から俯瞰すると、逆にエンジニアにとって理不尽な環境が多すぎると感じ、もっとエンジニアに裁量をあげればいいのにと歯がゆく思ってしまう。ただ、何事もバランスである。一つの思想に傾倒したり、特定の職種が権力を掌握した組織というものは、少し怖い気もする。

カルトとしてのFacebook

"She just doesn't get it," a user support manager told me about one employee who was soon to be terminated. "She doesn't believe in the mission. She thinks that Facebook is for people without any real problems and isn't actually changing the world. Can you believe that? This afternoon I'm going to have to let her go."

I wondered who the heretic employee was. I guessed that she must have been like all of the user support team members: well-educated in the humanities at an Ivy League school, and probably unaware when hired that she had walked into a new kind of technical cult. At any rate, her awareness of issues beyond Facebook was a problem. The company wasn't paying anyone to be aware of the world beyond the screen.

「彼女にはわからないんだ」と、ユーザーサポートのマネージャーが私に言った。もうすぐ解雇する社員の話だ。「彼女は我々のミッションを理解しないんだ。Facebookは本質的な問題を抱えている人の助けにはならない、世界を変えているわけではないと言うんだよ。信じられないだろ?今日の午後辞めさせるしか仕方がないよ」

「反逆者」は誰なのだろうと私は思った。おそらく他のユーザーサポートの社員のように、Ivy Leagueの大学を文系の専攻で卒業した才媛だろう。テクノロジーカルトに就職したとは思いもしなかったに違いない。いずれにせよ、Facebookを超えたところに意識をもっていたことが問題なのだ。この会社は、そんなスクリーンの向こうのリアルの世界のことを考えるために人を雇っているわけではないのだ。

「透明である」とは

Everyone wanted to see everything. This was all justified under the company's corporate buzzword, transparency, though no one seemed to know exactly what it meant.

社員はみんな、「透明さ」という社訓のもと、すべてを知りたがった。だがぶっちゃけ誰も「透明さ」がナンなのかわかっていなかったのだ。

これはぼくも考えてしまった。透明さ、公平さ、正義。もっともらしい、倫理的に正しいそうな表現は、人々を鼓舞する。でも、言葉というのは、抽象的であればあるほど、どこかきな臭いものだ。はたして全て透明な社会は正しいのか。「透明さ」を詠うFacebookでも、給料や起業戦略など不透明なことは沢山あるに違いない。具体性に欠けるビジョンというのは、長い目でみた時に機能しないというのは、悲観的な意見なのだろうか。


Facebookは確かにスゴい会社だ。10年も経たないうちに、世界の人口の6分の1を自分たちの仮想現実の箱庭に取り込んでしまったのだ。そして、その箱庭を支えている技術力は、AmazonやGoogleといったテクノロジーの巨人たちともひけをとらない。この10年を代表する企業の一つであることは、間違いない。

でも、忘れてはいけないのは、Facebookはあくまで箱庭で、仮想のものであるということだ。現実社会では、いいね!ボタン一つで謝意も敬意も伝えられないし、ボタン一つで友人関係をやめることもできない。所詮、Facebookにあるリアルは、ユーザーたちが取捨選択した、自分がシェアしたいリアルだ。本物のリアルというのはもっと混沌としていて、非効率的で、コントロールが効かない。Facebookはあくまでもツールであるという大前提を、Facebookの社員もユーザーも忘れてはいけない。

Technology is about solving things another way; without experiencing the problems, without afterthought, without having to do much at all. Technology can do these things for you so you don't have to. Sometimes, that can be helpful. Other times, I think that by using technology to accomplish our human goals we end up missing out.

テクノロジーは別の解決法を提示するもの。問題を回避し、後から考える手間を省き、作業を減らす。テクノロジーは私たちの仕事を肩代わりしてくれる。それは時として助かる。でも、テクノロジーに執着するばかり、我々は時として人間としてのゴールを見失ってしまうような気もする。

ここまで読んでくれてありがとう。是非いいね!してほしいw


  1. 先週の火曜日に発売したばかりだから、恐らく日本語でレビューを書くのはquippedが世界初。
  2. Quoraでも、憤慨した元Facebookの社員とみられる人たちによるLosseに対する個人攻撃が起きている。
  3. ただ、女性蔑視、エンジニア至上主義に関しては、ぼくは強い反発心を持っている。彼女の話がどこまで本当で、どこまで疑問視されるものなのかはわからないが、もし書いてあることが本当だとすれば、Facebookにとってはとても恥ずかしい黒歴史としか言いようがない。

2012-07-01