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素敵な会話ができますように

冷たい雨が降るマウンテンビューのベトナム料理屋で、1人フォーをすすりながら、昔もらったプレゼントのことを思い出した。

ぼくは1999年に親の仕事で渡米したのだが、当時は英語が大の苦手で、英語圏での生活が不安で不安で仕方がなかった。そんなぼくを見かねたのか、知り合いのJさんがポケットサイズのオックスフォード英英辞書をくれた。

当時22、3歳だったJさんは、高校時代に1年間アメリカに留学したことがある人で、とても英語が堪能だった。その後彼女は大学院で再び渡米し、人類学で博士号をとっている。

最初は、「え、英語ができないぼくに英英辞書をくれても仕方ないんでは」と思ったが、濃い藍色の表紙の裏に書いてあったJさんのメッセージを読み、ぼくは考えを改めた。

言葉は道具です。素敵な会話ができますように。

言葉は素敵な会話ができるための道具だ—14歳のぼくは彼女の言葉に無性に感動し、何がなんでもその辞書を使おうと決心した。

そしてその日から、来る日も来る日も単語の意味を調べた。当初は引いた単語の説明部分の単語も知らないので、再帰的に辞書を引き続けるはめになり、最終的に何もわからずじまいで辞書を壁に投げつけたくなることがよくあった。その度に、表紙の裏のメッセージを見つめ直し、辛抱強く単語の意味を調べ続けた。

3年半後、大学に進学するころには、表紙の角が擦り切れ白い厚紙の部分が見えており、背の部分はグサグサに緩くなっていた。ぼくは辞書に別れを告げて、西海岸へ引っ越した。


あの辞書をもらってから13年だ。英語の語彙も増えたし、ふつうに文章を書いたり会話したりできるようになった。英語という道具の使い方に関しては、大抵の「ネイティブ」よりも上だという自負はある。

ただ、素敵な会話ができているかと言えば、いささか自信がない。当たり前のことだが、素敵な会話をするためには、語学力の他にも、思いやりだとか、感受性だとか、知性だとか、色々なものが要求される。言葉は、そういったものを伝えるための道具に過ぎないのだ。「言葉は道具です」と「素敵な会話ができますように」の行間の深さが、今頃になってようやっとわかる。

新年の抱負と言ってしまうと仰々しいが、今年はもっと素敵な会話ができる人になりたい。

...と書いたが、土曜日の夜に1人でベトナム料理屋でフォーをすすっている時点で、すでにいろいろと駄目なのである。

2013-01-05