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器用貧乏ですがなにか?(人生かけ算と小さなハブ)

こんな支離滅裂なブログ/コラム/エッセーの裏にも人間がいるわけで、その人間も、たまには人生を振り返る。ということで今日は自分の話を少しする。そんなに長くならないはず。

ぼくを一言で表すならば、器用貧乏だ。覚えている限り、これだけは誰にも負けないというものは、生まれてからただの一度も持ったことがない。学校の成績とか周囲の大人の期待といったものを相当気にかけ、それにうまく縛られてきた。おかげさまで、大人になるまでずっと成績はよかったし、学歴だけみたらエリートだ。この学歴を引っさげて日本で合コンに行ったら引く手数多じゃないかと勝手に妄想している(妄想は自由だ)。

だが、何度考えても、誰にも負けない長所というものは一つもない。これには生来の飽きっぽい性格と、なまじっか要領がよいことが災いしているのだろう。何事をやってもすぐそれなりのところまで出来てしまい、そこから指数分布的に興味が失せていく。曲がりなりにも興味が続いてきたのは、言語くらいなものだ。そしてその言語力をとっても、自分を凌駕する人がそこら中にいるということを、日々感じながら生きている。

だから僕は長い間人生何をしたらいいのか不安だった。これだというものがないので覚悟が決まらない。これだというものがないので自分のやっていることに自信が持てない。でも賢しいから、失敗しても納得できるような逃げ道を用意し、それなりに満足してしまうのだ。そうやって、この10年くらい、毎朝起きて歯を磨くたびに、鏡にぼんやりと映る劣等感を眺めてきた。

ただ、最近社会人5年目にして、ひょっとしたら自分の価値はここなんじゃないかと思うものを2つ見つけた。うまく名詞化できないので、「人生かけ算」と「小さなハブ」と銘打って、ちょっと説明したい。

人生かけ算

器用貧乏だと言ったが、これは裏を返せば、ちょっとだけなら何でも知っているということだ。日本語だって英語だってプログラミングだって文章力だって数学だって遥かに優れている人はいっぱいいる。ただ、それら全部において僕より優れている人というのは、よくよく考えると知らない気がする。興味本位でいろいろな分野をかじったおかげで、常識的にはあり得ないコンビネーションの知識を得ることとなった。トポロジーの話も通じるし、柄谷行人も大分高校生の時に読んだ。アメリカ人に単語を教えることもできれば、ちょっとしたプログラムくらいは書くこともできる。日本語も英語も両方ぼくより達者な人はいるだろうが、数でいったらほんの僅かだという自信はどことなくある。

なんだお前自慢しているのかと言われるだろう。でも考えてみてほしい。ぼくは上に挙げたいずれにしても、一度も確固たる自信をもてたことはないのだ。「あーあいつ数学すごいできて羨ましいな」「ぼくはあんなにプログラムは書けないな」「英語あんなに速くは読めないな」「ぼくにこんな日本語力はないわ」ぼくが十数年いつも考えてきたことだ。何をやっても二流であるというのは、ひたすら苛立つ。三流ならまだいい。一流が視界に入らないからあっさりと諦められる。二流というのはかくも苦しい。

でも最近、人生はかけ算だと思うことにした。個々の能力は二流でも、それを掛け合わせれば、それはそれで役に立つのだ。文学に詳しい人に数学の面白さを説明できるし、ビジネスマンにプログラマーのスゴさ・価値も伝えられる。日本語と英語の橋渡しも、好きかといえばそうではないが、文化的な背景とかも含め、相当うまくできると思う。これはこれで立派に使い物になるんではないか。いや、これを使い物にするのが、ぼくの生きる道なのだ。

小さなハブ

これは先の「人生かけ算」と関係するのだが、いろいろな分野をかじったおかげで、幅広い分野の人たちと、それなりに話ができるようになった。とはいっても素人なので、あくまで彼らの話を聞いて、わかったふりができるくらいだ。それでも、やっぱり自分が情熱を持っている分野に興味を持ってもらえるというのは、誰でも嬉しいものだ。そして、自分が大好きなトピックを話している時、人はみずみずしくなり会話も弾む。

そんなこんなして20数年生きてきたら、いろんな知り合いができた。デザイナー、トレーダー、料理人、スーパーハッカー、医者、弁護士、学者。とにかくいろいろな人と巡り会うことができた。南北統合に人生を賭ける北朝鮮国籍の在日朝鮮人。イスラエル生まれのクリスチャンのアラブ人の統計学者。検事になったカリフォルニアのダチョウ農家の息子。ぼくが幅広い友人関係を得られたのは、いろいろな分野の人に興味をもち、それ相応に知識や考え方を蓄えたからだろう。

いや本当はそうじゃないかもしれない。ただ運が良かっただけかもしれない。でも、「人生かけ算からの小さなハブ」という理由付けを、少なくとも今の自分は納得して受け入れることができる。

そして、これの素晴らしいところは、ぼくという小さなハブを通して、本来だったら知り合う可能性が低い人たちが知り合い、ぼくを超えたところで友達になっていくことだ。正直自分のことはどうでもいいのである。ZuckerbergとFacebookの受け売りになってしまうが、ぼくがいることで、友達ネットワークの距離が縮み、世界が狭くなるというのは、この上なく嬉しいことだ。

...で?

最近は、朝、歯を磨くのが怖くなくなった。ぼくは一流の二流だと思うようになった。そして今日も新しいもので二流になり、新しい人の輪をひろげ、世界を狭くすることに貢献できたらな—いや、するんだ!—と思いながら口を濯ぐのだ。

最後になりましたが、最近、蒼井優がチェーンスモーカーだという話を聞いてショックです。というのも、ぼくは大の嫌煙家だからです。タバコに対する憎悪という一点においては一流かもしれません。

2012-11-05