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巨峰がドイツ人に変換された話

先週、両親を訪ねにいった時のことである。40年以上に渡る都会生活に疲れた両親は、長野の片田舎に家を建て、ほぼ自給自足の生活をしている。野菜果物のかなりを家庭菜園でまかなっているのだが、葡萄は難しいらしく、近くの農園に買いに行っている。

先週の火曜日もそのはずだったのだが、祖母を連れ、車で出ていった母親が、巨峰の代わりに、ドイツ人を連れてきた。

ガレージが開く音がしたので、玄関先に出ていくと、ドロドロのマウンテンバイクをしたがえた西洋人の青年が立っていた。ドレッドロックの髪を緑のバンダナで包み、顔はひげもじゃらで、額には玉のような汗をかいており、見るからに臭そうだ。いちおう通気性の良さそうな黒い半袖シャツに、鉄色のショーツを履いており、足下を見るとサンダルを履いている。この山麓まで自転車で、それもサンダルで来るとは、なかなかの強者である。

このパニックすべき状況で、ぼくが全く動じなかったのには、ふたつ理由がある。まず、彼がとても澄んだ眼をしていたからだ。汗のしたたるゲジ眉と、紅潮した頬の間からのぞく碧色の眼は、もの静かで、何か安心させられるものを讃えていた。もうひとつの理由は、昔からうちの母親はぶっ飛んでおり、知らない人を買い物がてら連れてくるなぞ、初めてでもない。

黙っているのもなんなので、一応挨拶をした。流暢な英語を話しながら、日本語で書かれた自己紹介文を見せてくれた。ピーター・フィンクさん27歳。2010年10月1日にフランクフルトを出て以来、自転車で世界を見て回っているそうだ。

少し井戸端的に話をしていると、母親が車から降りてきた。

—帰り道に会ったの!一緒にお昼食べるから!
—この人だれ?
—ピーター!
—それは聞いたよ。
—車で運転してたら、自転車の後ろにくくってある「世界一周食物飲物大歓迎」っていうサインが目に入ったから、スーッと車で寄っていって、「英語できる?」って話しかけたら"Yes"って言ったから、「じゃあ一緒にお昼食べようか」という話になって。すごいよ、彼。あのボロボロの自転車でもすごい速い。

ということで、母・祖母・ぼく・ピーター君の4人でお昼を食べることになった。今年96歳の祖母は、終始ハイパーおったまげていた。

食事をする前に、インターネットを借りたいとピーター君が言ったので、ぼくのラップトップを貸した。テントを使った野宿に加え、Warm ShowersCouch Surfingといったサービスを使い、雨露をしのいでいるそうだ。どうやら次泊まるところへ連絡をするらしい。

—次はどこに行くの?
—今日中には高崎まで行きたいと思っている。
—へえ。で、今日はどっから来たの?
—上田。

ドイツからトルコまで南下し、そこから中東を一通り見た後、パキスタン経由でインドに入り、そこから中国まで北上、韓国からフェリーで下関港から日本入りしたらしい。船で下関とか、まるでフランシスコ・ザビエルである。

—で、下関からずっと自転車で?
—もちろん。基本的に、危なくない限り、自転車だよ。

ピーター君、とても筆者と同い年だとは思えないほど、落ち着いている。

—へえ。自転車というのはこだわりがあるの?
—バスとか電車に乗ってしまうと、どうしても点から点へとジャンプする旅になってしまう。まずイスタンブール、次ダマスカス、そしてカイロみたいに。僕がしたいのは、線で世界をなぞる旅なんだ。別に博物館に行きたいとか、観光料を払って史跡めぐりをしたいみたいのはない。それよりも、実際どこでどんな風に人々が生活しているか見てみたいんだ。

—時速10キロで見る世界ってことですね。
—そう。時速10キロで初めて見える世界。

予定では、この後、北日本を巡り、その後、東南アジアに飛び、そこからオーストラリアに行くつもりだそうだ。そしてオーストラリアでは、ワーキングホリデーを利用して、しばらく住むつもりらしい。

—お金とかはどうしているの?
—貯金を切り崩してやってるよ。この旅をするために、投資銀行と会計事務所で数年働いたんだ。後は、旅先で働いたりね。

投資銀行とか、金の亡者がする仕事だと思っていたが、あの短期間でまとまったお金が稼げる仕組みには、こういう使い方もあるのか。

お昼ごはんの準備ができたようだ。採れたてのトウモロコシを絞ったスープに、庭のトマトとラクレット。ピーター君も、「ラクレットなんか2年以上食べてないなあ」と感慨深そうだった。

「ご両親は心配しなかったの?」とうちの母親が聞くと、溶けたチーズのかかったジャガイモをほおばりながら、ピーター君はこう言った。

「心配すると思ったんで、あらかじめ準備をしたんです。まだ仕事を始める前に、1人で北欧を自転車で一周しました。全行程8000キロで、4ヶ月くらいかかったんですが。それを見ていたので、今回の旅の時は、あんまり驚いてなかったと思います。連絡もしてますし。」

本当に「準備」のための北欧の旅だったかは定かではないが、筋金入りの冒険家であることは間違いない。

—怖い体験とかってあった?
—今のところない。勿論、安全だと言える旅の仕方ではないけれど。パキスタンで知り合ったフランス人のバイカーは、ある時、急に音信不通になってしまったし、テロ活動が激しいところでは、サイクリストが人質にとられるなんてのもよくあるんだ。

「ピーター君は2010年10月1日に旅を始めた」という事実と、「ドイツから南下して、トルコ経由で中東に入った」という事実を、頭の中で組み合わせた僕は、こう質問した。

—ひょっとして、アラブの春の時って中東にいた?
—いたよ。実はレバノンにいて、国外退去命令が出て、イスタンブールまで飛ばされたんだw

半笑いのピーター君を見て、お前それ笑えることじゃねえしと心の中で苦笑いする僕には、到底こんな冒険はできないのかもしれない。

ピーター君は、ボウルいっぱいのジャガイモをぺろりと平らげてしまった。勾配の激しい山道を、35キロの荷物を担いで自転車に乗ってきたのだ。腹ぺこに違いない。

「この旅をしていて学んだことって何?」

食後のコーヒーをすするピーター君に、母親が聞いた。ピーター君は、少し考えてからこう言った。

「大抵の人っていい人なんだと思います。みんな泊めてくれたり、ご飯をくれたり、道を教えてくれたり。そういう人たちがいるから、この旅は続けられる。」

シンプルで、深い。「世界は広い」とか「世の中にはいろいろな問題がある」とか「世界の多くは貧困にあえいでいる」といった「世界は◯◯である」という類いのものではなく、「大抵の人はいい人である」という性善説。勿論、性善説だけで世界が回るわけではないのだろうが、時速10キロの旅人の言葉には、頭でっかちの学者や、ワイドショーの軽薄な芸能人にはない、重みがある。

コーヒーを飲み終えたピーター君は、「眠くならないうちに、おいとまします」と席を立った。そうだ、今日、彼は高崎まで行かなくてはいけないのだ。

うちの車に積んであった(どうやらうちに来るまでの間、荷物は母親に預けたらしい)荷物を、再び自転車にくくりつけた。そして、旅の思い出にということで、彼のデジカメで、ガレージの前で、記念写真を撮った。うちの母親から大通りに出るまでの道順を説明を受けたピーター君は、完全武装された自転車にまたがり、御礼を言いながら、去っていった。

舗装もされていない坂を、立ち漕ぎですいすいと進んでいく後ろ姿を見ながら、ぼくは母親に聞いた。

—なんで車停めたの。
—自転車の後ろのサイン見たでしょ。「世界一周食物飲物大歓迎」ってサイン。
—うん。
—あれ見た時にね、ビビって来たの。「この世界一周しているヤツのことが知りたい」
—へえ。
—それに、いいことをすれば、いいことが返ってくる気がするのよ。例えばあなたに。

なかなかぶっ飛んだロジックだが、息子のことを思う母親の気持ちに感謝した。ちなみに祖母は、お客様が来ても大丈夫な格好でよかったと一安心していた。96歳とは思えない若さである。

—母さん、彼は寂しくないのかね。
—どうだろうね。なんかね、面白いと思ったのはね、河原にテントを張って、日の入りと日の出を見る時が、「この旅やっててよかったー」とイチバン感じる時らしいよ。
—へえ。
—多分彼には、神がいるのさ。だから寂しくないんだよ。
—神?
—そう、神様。家族とか、友達とか、同僚とか、そういうものとは違う次元にいる神様。いつだって彼は神様とつながっているから寂しくないのさ。

うちの母親は、無宗教だが、無神論者ではない。さっきの「いいことをすれば、いいことが返ってくる」みたいな一種のスピリチュアリティを、昔から持っている人だ。そして、僕は、「日々の暮らしの中に無神論というものは存在しない」というDFWの言葉を思い出し、家の中に入った。


昨晩、アメリカに戻ってきた筆者のところに、ピーター君からFacebook Messageが届いた。今、東京にいるそうだ。長野では世話になった、お母さんによろしく伝えてくれとのことだった。時速10キロの旅は、今日もどこかで続いている。

2012-09-09