2014-02-15

Aiko Uemuraで振り返るナガノ→ソチ

16年前、小学校卒業を間近に控えたぼくは、家族と一緒に長野五輪を観戦しにいった。フィギュアスケートの男子と女子を観戦したはずだ。今でこそ日本は、フィギュアスケートのメダル常連国だが、当時はメダルはおろか、誰も10位以内に入らなかった(後にトリノで金メダルを取る荒川静香は、この時13位だった)。

その代わりといっては失礼だが、清水宏保がしゃかりき走り、里谷多英は空中でドーンと開脚し、船木和喜はもっと空中で爪先を八の字に広げ、金メダルを取った。あと、恥ずかしながら今日Wikipediaで知ったことだが、ショートトラックでも西谷岳文が金メダルを取っている。

ただ、12歳の少年の脳裏に一番焼き付いたのは、モーグルで7位に入った上村愛子だった。溌剌としていて、可愛かったからだと思う。思春期に片足踏み入れた12歳のガキなんて、そんなもんだろう。

12年前、ソルトレイク五輪を観戦していたのは、渡米して最初に住んだニューヨークの自宅のテレビの前だった。清水はガムシャラに走ったが、金メダルには一歩及ばず、大けがから復帰してボコボコ斜面にカムバックした里谷は、銅メダルだった。フィギュアスケートではロシアとフランスのジャッジ間での大人のやり取りが明るみに出て、採点システムが抜本的に改変された。ショートトラックではアポロ・オーノの「わざとらしい」演技が原因で金東聖が失格になった。オーノが半日系ということもあり、ぼくはオーノの肩を持ったのだが、高校時代の一番の親友は韓国人で、奮然とオーノを糾弾し、怒鳴り合いの喧嘩になった。今では考えられないナイーブさと純粋さである。

しかし、ソルトレイクで一番印象に残っているのは、男子フィギュアスケートのヤグディン対プルシェンコだろう。12年経った今でも、当時のヤグディンとプルシェンコのレベルには、その後のプルシェンコも含め、誰も到達していない。よく「自分がライバル」とか宣う人がいるが、そんなの綺麗事だ。人が一番燃えるのは、コンチクショーと思いながら鍔競り合いを演じる時で、更なる高みに行くためには、やはり宿敵は必要だと教えてくれたのが、ヤグディン&プルシェンコだった。

上村愛子は、6位止まりだった。相変わらずおキレイだったが、12歳の時ほどはドキッとしなくなっていた。

トリノ五輪が8年前とか、ナントカ矢のごとしである。ちなみにトリノを見ていたのは、大学の寮のリビングだ。日本勢はことごとくメダルを取り逃がし、こりゃダメかなと思って迎えた最終日間際に、荒川静香がヒョイと金メダルを取った。イナバウワーは流行語になり、トゥーランドーが人気になった。2002年にヤグディンに競り負けたプルシェンコは、ロボットの様な正確な動きで、当たり前のように金メダルを取った。あそこまで一位が事前に確定しているオリンピックは、今後もなかなかないんじゃないか。4-3-3のコンビネーションもさることながら、圧倒的にすごいのはトリプルアクセル→ハーフループ→トリプルフリップである。見た目はそんなでもないが、あれはクソ難しくて、演技の中でさらっと出来るスケーターは、彼しか思いつかない。

スケートの絶対的女王、ミッシェル・クワンには、オリンピックの女神は微笑まなかった。どんなに実力があっても、運やタイミングには勝てないということを、長野ではリピンスキーに競り負け、ソルトレイクでは神妙な面持ちで銅メダルを受け取り、トリノへの参加を辞退したクワンを見て学んだ。

上村愛子は、5位だった。何か難しい空中必殺技を成功させたが、それでも勝てなかった。

4年前のバンクーバー。親は観戦に行ったが、ぼくはシカゴの証券会社でトレーディング業務の傍ら観戦していた。普段スポーツに全く興味がないカナダ人のボスが、ホッケーだけは熱狂的に応援していた。韓国人の同僚は、「金メダル以外はメダルじゃない」と息巻いていた。彼の期待に応えて...ってわけでは絶対にないが、ユナキムは完璧な演技で金メダルを取った。後にも先にもここまで完璧な女子シングルの演技はないと思うくらい、美しかった。しかしこれも、浅田真央というライバルがいたからだろう。男子シングルでは、4回転が飛べないイケメンエヴァンが、4回転ロボコップルシェンコを抑え金メダル、3位には高橋大輔が入った。日本男子フィギュアのオリンピック初メダルということで、えらく感動したのだが、次のオリンピックで金メダルが出てしまうのだから、すごいものだ。

後で知ったことだが、長野で一世を風靡した里谷多英は、トリノにもバンクーバーにも出ていたが、十何位と振るわずで、その間マスコミに取り上げられたのは、酒癖の悪さ、公然わいせつ、離婚の話だった。世の中というのは残酷なものである。彼女は2013年についに引退したのだが、去り際を見極めることの重要さを、里谷さんには教えてもらった気がする。

上村愛子は、4位だった。ここまで規則性があると神様の存在を信じたくなる。ぼくは、このまま等差数列的にソチで3位になると決めつけ、4年間待つことにした。しかしこの時の上村愛子、30歳か。自分がアラサーになってつくづく思うが、この人若いよね。

そうして待ったソチ五輪で、上村愛子は4位だった。ぼくは元数学屋さんなので、数学的美しさが崩れたショックがないわけではないが、なにより16年間もがんばってきた上村姉さんには、メダルを取って有終の美を飾ってほしかった。でも、4位でも悔いはない、清々しい気持ちで終われると記者の質問に応えたというネット記事を読み(ほら、マジファック・オブ・アメリカだから、有料テレビがないとオリンピック見れないからね)、ぼくも清々しい気持ちになった。

なんせ16年もの間、ひたすらボコボコジャンプをやってきたのだ。そりゃメダルを取って終わりたかっただろう。だけど、そこにはメダルを取った取らないという次元ではない、求道者にしか辿り着けない境地があるに違いない。16年前というと、今回金メダルをとった羽生は3歳、惜しくもメダルを逃した高梨は1歳である。その間、来る日も来る日もずーっとボコボコジャンプである。

思うことはいろいろあるだろう。けれど相変わらずの八重歯を覗かせながら笑顔でインタビューに応える34歳の上村愛子は、今までで一番キレイだった。

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