2012-01-11

月曜日の朝

月曜日の朝ほどツラいものはない。幸いぼくは会社の近所に住んでおり、仕事柄10時と出勤が遅いのだが、それでも起きぬけのカフェイン投入前のアタマはボーっとしている。先日も例に漏れずギリギリに起き、シャワーもとらず歯だけ磨き、車に乗った。まずT字の角を右折、最初の角を左折、もう一回左折、信号のところで右折すると、少し大きな通りに出る。ここ9ヶ月ほぼ毎週通い慣れた道なので、ほぼオートパイロットだ。

だが、この通りに出てから問題が生じた。前のベージュのレクサスが異様に遅いのだ。ここは最高時速55キロの通りなのだが、30キロも出ていないかもしれない。とにかくちんたらちんたら運転している。車線を変えて追い越そうかと思ったが、どうせすぐY字の交差点で曲がるので、まあこのままでいいかなと思いとどまった。

ようやっとY字のところまで来たのだが、なんと亀レクサスも、ぼくと同じ方向に曲がるべくウィンカーを出している。しかもぼくらが曲がるほうの通りは1車線になっており、また大きな通りに出るまで追い越すことはできない。なんてこった。こんなことならさっき追い抜いておけばよかった。Y字の交差点で、赤信号が青の「←」に変わるのを待ちながら悪態をついた。カフェインの足りないアタマにノロマな車。イライラは募るばかりだ。

信号が青い矢印に切り替わった。が、レクサスは微動だにしない。おいおい待て。どれだけ後ろを待たせんだ。いよいよクラクションを鳴らそうかと右手の手のひらをハンドルの中央に押し当てた時、レクサスは思い出したかのように、のんびり前進し、左折した。よくは見えなかったが、どうやら白髪の婆さんらしい。まあ月曜日の朝に婆さんのドライブの後ろについてしまったのは運がないなと思いながら、ぼくも続いて左折した。

道をまがったあとも、もちろんレクサス婆さんはマイペースである。相変わらず30キロで、のんびり運転している。ドライブするなら時間帯を選べよと思ったが、どうせすぐ大通りにぶつかり、ぼくはそこでもう一度左折するので、そこまでの辛抱だと思った。流石にレクサス婆さんも大通りをドライブはしないだろう。仮にそうだとしても大通りは片面3車線なので、余裕で抜くことができる。

ところがどっこい相当運が悪い日のようで、レクサスは想像に反し左折し、大通りは普段より往来が激しく車線変更もできず、ぼくはまた同じババアの後ろにつくことになった。この大通りは、一応最高時速は55キロとなっているが、みんな60キロから65キロで運転している。もちろんここでもババアは30キロだ。もうわかったよ。あんたの後ろでいいよ。どうせ最初の信号でもう一度右折だ。そこまでの辛抱だ。

レクサスは、ぼくをあざ笑うかのように最初の信号で右折した。一体どこに行くんだこの婆さんは。ここはダウンタウンで、あるのはベンチャー企業のオフィスとレストランだぞ。あんたが用事があるところなんかありゃあせんと思ったその時、ようやっとレクサス婆さんとぼくは別々の道を行くことになった。右折してすぐ右手にある駐車場に入るべく右折したのだ。

駐車場の横にはレンガ色に縁取られた灰色のビルがあり、Kaiser Permanente Medical Centerと書いてあった。そう、病院だ。

ぼくは一気に今までイライラしていた自分が恥ずかしくなった。あのおばあさんは、車で1人で通院する途中だったのだ。家族には迷惑をかけたくないからかもしれない。頼る家族がいないからかもしれない。いずれにせよ通院のために運転していたのに、ババアの優雅なレクサスドライブと決めつけ心の中で悪態をついていた自己中心さにゾッとした。もしあのおばあさんの行く先を見届けなかったら、ぼくは意味もなくイライラしたまま出社したに違いない。

気がつかないうちに、まわりを見る視点が利己的になってしまうというのは、ある意味仕方がないことだ。どんな環境でも1番近くにあるのが自分の感情だし、それを優先するのは本能だ。だが、往々にしてそういう利己的な視点からは見えてないものがある。そういう利己的な自分の視点を少し遠くから省みることができる心の余裕は持ちたい。

最後に。

おばあさん、ごめんなさい。

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