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2011 Fukuoka Ruby Night

今月のあたま、スタンフォード大学のキャンパスで開かれたFukuoka Ruby Nightに行ってきた。

あらかじめ断っておくと、ぼくは1行たりともRubyを書いたことがない。仕事で書くのはPHPとJavaScriptで、「PHPも悪くないね」と考えているようなダメなエンジニアだ[1]。このイベントも、「Matzに会えるぞ」という100%ミーハーな、女子高生がティーン雑誌のモデルに会いにいくような気分で参加したのだが、以下雑感。

福岡—ソウル—上海

上の写真は、イベントで配布されたパンフレットの表紙だ。主催都市の福岡は当然のことだが、福岡の相対的な位置を、東京や大阪ではなく、上海とソウルで示しているのだ。これを見て「福岡の人にとっては、東京なんかよりも上海やソウルの方が近いのかもしれない」と感じた。上海も東京もおよそ900キロで同距離だし、ソウルにいたっては500キロ強とさらに近い。ひょっとしたら、凋落した東の都よりも、今勢いのある韓国や中国に福岡が近いことを強調したかったからかもしれない。いずれにせよ、東京で生まれ育ったぼくには、興味深く感じられる表紙だった。

Matzに話しかけてたオッサン

イベントが始まる前に、Matzに声をかけていたアメリカ人のオッサンがいた。オッサンと言っても完全に白髪で、50は軽く超えていただろう。横から盗み聞きしていたら、どうやら最近Rubyでプログラミングを始め、とても楽しんでいるようで、Matzに感謝したいとのことだった。なんか出来すぎた話のような気もしたけれど、なんとなく心が暖まった。と同時に、こんなしわくちゃなオッサンも楽しめるというのは、"maximizing programmers' happiness"という点においてRubyは成功だったんだなあと再認識した。

石の上にも...

正直Matzの基調講演そのもの(Minimalistic Ruby)はよくわからなかったが、最後の方で話していたRubyの歴史の話が心に残った。まず、Rubyを開発しはじめた一因として、バブルが崩壊して一挙に仕事がなくなったのだが、幸いにも辞めさせられなかったので、時間が沢山あったという話。やはりまとまった時間があるというのは、ソフトウェアを書くうえで大事なんだなと再認識した。あと、MatzがRubyに着手したのは1993年で、最初にリリースされたのが1995年だそうだから、15年以上もRubyを開発してきたことになる。もちろんその間にいろいろな人が協力してきただろうし、DHHが書いたRailsが流行ったことでRubyそのものの人気も高まったこともあるだろうが、Matz自身がそれだけ長い間継続してきたというのは感慨深いものがあった。一介のコミッターだったら「もう辞めます」で済むだろうが、生みの親がそれをしていたら、Rubyはとっくの前に死んでいたんだろうなと。石(Ruby)の上にも15年である。


  1. むしろPHPも結構好きだったりする。

2011-11-28