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ソフィアの世界

丁度10年前、高校2年生の英語の授業で、「自分で一つテーマを決め、3分のスピーチを書き、クラスの前で発表すること」という課題が出された。

普段の英語の授業は、課題の本を読み、それについてテーマを決めてエッセーを書くというものだったので、この課題は新鮮だった。それと同時に不安を覚えた。普段の課題は、ある程度パターン化できていた。テキトーに課題書から引用文を探しだし、これまたテキトーなテーマを先の引用文で肉付けし、ちょっと洒落た文章で締めくくれば、それ相応の成績がもらえるのだ。もちろん英語の授業なんてのは主観が入りまくるので、先生に気に入られるようにしておくことが肝心である。

しかし今度の課題は違う。唯一の条件は3分以内であることで、それ以外は全く自由だ。何についてどう話すか全て自分で考えなくてはいけない。そもそもどう評価されるかもわからない。アメリカの大学入試は、言わば日本のAO入試のようなもので、高校時代の成績が重点的に評価される。当時、いい成績をキープして、エリート大学に合格することにこだわっていた僕にとって、準備の仕方も評価のされかたも不透明なこの課題は、はっきりいって迷惑だった。

正直、自分がなんの話をしたのかは覚えていない。当時は数学が得意だったから数学について話したのかもしれない。ひょっとしたら「アメリカに来て2年経って思うこと」なんていう安っぽいドラマ仕立てのスピーチだったかもしれない。いずれにせよ、大したものではなかったんだろう。

でも同じクラスのソフィアのスピーチは、今でも鮮明に記憶に残っている。

ソフィア・パラシオはコロンビアの外交官の娘で、高校2年生の時に編入してきた。色白の、はっきりとした顔立ちの美人で、強いスペイン語圏の訛りがセクシーだった。ぼくは高校時代今にさらに輪をかけたオタクで、一緒の仲間もオタクっぽい奴らが多かったのだが、そんな連中にも快活に挨拶をする感じのいい人だった。高校生くらいだと、大体の女性はまだ「女の子」なんだが、ソフィアは圧倒的に「女性」だった。

そんなソフィアにスピーチの順番が回ってきた。彼女は原稿を右手に持ち、すっと立ち上がると、落ち着いた芯の通った声でタイトルを読み上げた。

「受け入れるということ」

彼女は一度クラスを見渡してから、ゆっくりと続けた。

私はコロンビア人ですが、生まれたのは隣国のベネズエラです。そして、物心ついたころから外交官の娘としていろいろな国に住んできました。そういった生い立ちもあってか、私は常に「他の人を受け入れる」というのはどういうことなのか考えてきました。日頃の生活を通して感じるのは、我々は『受け入れる』という言葉を、とても安易に使っているということです。

「受け入れる」という行為には2つのステップがあります。まず相手の立場に立って物事を考えるということ。口で言うのは簡単ですが、これは実は非常に難しいことです。性別・年齢・宗教・社会的地位...あらゆる面で、我々は多様です。どんなに似ていると感じても、自分と全く同じ人はいません。その相手がどういう観点からものを見ているのか、自分の限られた経験から推し量るには勇気がいります。一歩間違えば、尊大で傲慢な行為です。私もふくめ、多くの人はこのステップで既につまずくことがほとんどです。

ソフィアは淀みなく続ける。

第2のステップは、相手の立場や考え方を理解した上で、それを是とすることです。私の経験として、例え相手の立場が理解できたとしても、それを呑み込むことは容易ではありません。その相手の考え方や意見は、自分の根本的な価値観と矛盾するものかもしれません。敬虔なクリスチャンに、イスラムの教えを是とせよといっても、はいそうですかと認められるものではないですし、精神病で肉親を失った人間に、心の病は気の病だという主張は呑み込めないものです。でも、本当の意味で相手を受け入れるためには、自分の信念と相手の主張を、なんらかのかたちで共存させる必要があります。これは膨大なエネルギーがいることですし、場合によっては、どうあがいてもできないこともあります。

私は今まで、なかなか自分と違った価値観の人間を受け入れられない自分を恥ずかしく思ってきました。でも、最近になって、多様な価値観を受け入れられるようになる第一歩は、「相手を受け入れることの難しさを認識すること」だと感じるようになりました。今日のスピーチで一番言いたかったこと、それは「受け入れることの難しさ」です。これから先、私もみなさんも様々な場面で相手を「受け入れて」いくでしょう。その時に、今一度考えてください。はたして自分は本当に相手の立場に立って考え、そして相手の意見や思いを認められているのかを。

彼女のスピーチが終わるころには、普段はサルのようにやかましいマティアスも、いつも化粧を直してばっかりのテッサも真剣に聞いていた。誰かがゆっくり拍手をしだし、ソフィアは拍手に包まれて着席した。恥ずかしそうに原稿を鞄にしまうソフィアが、一瞬だけ「女性」ではなく「女の子」に見えた。

なんで今でもソフィアのスピーチを覚えているか。もちろん一つは、彼女のスピーチが、17歳とは思えないほど示唆に富んでいたからだ。しかしそれは半分たてまえで、本当の理由は、今でも当時の自分のことが恥ずかしいからだ。「自由なテーマで3分のスピーチ」という課題を、ソフィアは自分の信念を語るチャンスとして捉えていた。それに比べて自分はどうだ。いつものパターンと違うかたちで評価されることを不安に思い、万が一成績に悪影響が出たらどうしようなどという、今から思えばくだらない心配をしていた。既存の物差しにおびえていた僕とは違い、17歳にして、ソフィアは自分の世界を持っていた。

1年前、そのソフィアから連絡が来た[1]。祖国コロンビアで無事医学部を卒業し医者になっていた。アメリカでの研修を考えているとのことで、ぼくが当時住んでいたシカゴも検討しているとのことだった。「でもやっぱりニューヨークがいいなあ。アメリカの中では一番多様な場所だと思うから」と言っていたのが印象的だった。17歳にして他人を受け入れることの難しさを理解していた彼女なら、素晴らしい医者になるに違いない。


  1. Facebook上で連絡が来た。Facebookは概ね人類の時間の無駄だと思うが、ソフィアと連絡がとれたのはFacebookのおかげだ。僕が自分のアカウントを消さない理由だ。

2011-11-17